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イタリア人は優しい?

投稿日: 更新日:2020-06-14
イタリア人 優しい?

「イタリア人は優しいですか?」

この質問をガイドをするようになってから、たまにされます。

それまではイタリア人が優しいかどうかなんて、考えた事もありませんでした。

で、「日本で優しいと言うのとは基準が違うので、優しい場合もあれば、そうでもない時もあります。」

と、そんな風に答えたりします。

 

以下、長いので斜め読みができる方のみどうぞ…

 

 

優しさって?

日本の優しいは、”思いやり“に近くて、相手の気持ちを汲み取って理解し、自分が相手に対して気遣うことかな、と思います。

ヒゲ 美術館

ミラノ大聖堂美術館 サン・パオロ なんとなく優しそうな表情?

イタリアに旅行で訪れた人が目にする、日本での”優しい”に近いシーンをいくつか挙げてみます。

道を譲ってくれた、扉を開けて待っててくれた。

〜単なる礼儀正しさかも。日本風に言うと身勝手でわがままな某女子は、満面の笑顔で礼儀正しく道を譲ります。

お兄さん(おじさん)が親切に、道を教えてくれた。

〜人懐っこさが基本の人たちかも。それか、女性に対してなら基本的に親切。

女性が親切に案内してくれた。

〜機嫌が良かったに違いない (?!)。いえいえ、常にハッピーないい感じの女性もいます。

バスが混雑している時に、誰もが普通にお年寄りや妊婦、小さい子連れに席を譲ってた。

〜普通のことなので、優しいというよりも、むしろ譲らないと無礼な人間。お年寄りからしたら、席を常に譲ってもらうのが当然という感覚でしょう。誰もお年寄りの乗車に気づかなかったりしたら、お年寄り自ら席を譲るように催促する場合もあります。

 

 

普通に外にいる時に出くわすこういったシーンで、“理性的な礼儀正しさ”の要素が強いと思うんです。

相手に対して、礼儀正しく振舞うことは、きちんと教育を受けた人間としての振る舞いで、その時の”優しさ“には日本で言うような、相手への理解とは違うところにあるような、。

もちろん、相手がどう思うかを踏まえた上での行動なので、”優しさ”の感覚を重複する部分は多いですが、全体としてはずれているかな、、と、あくまで個人的にですが、そう思います。

 

日本人は礼儀正しいとよく言われますが、こういう種類の礼儀は若干違う場合があるので無礼!と顰蹙を買っている場面もたまにあります。

ミラノ大聖堂内 聖バルトロメオ 皮を剥がれても多分熟考してる。

 

では、普通の人間関係での、優しさは?

基本的にやっぱりヨーロッパなので、自分の思うことや希望を相手に伝えない場合は、無意見ということでスルーされます。相手がどう思っているだろうから、言うように促したりとか、提案をしたりとか、一切ないです。意見がないなら、その無口な人の気持ちを汲み取ろうという、気の使い方は見ません。(状況にもよりますが)

その場で大き声で、説得力のある話し方で圧倒した人の意見は、たとえそれがどんなワガママでも、もっともらしく感じられてしまう不思議。プレゼンテーション能力に激しく長けています。弁証法とかが古くからある地域なのだなー、と感じる瞬間。

そういった状況では、利他的優しさ”は皆無です。

でも、そこで統一した意見がまとまりかけている時、全く違う意見を出す人がいても、”空気を読めよ“ということにはならなりません。これは発言する人への”優しさ“ではなくて、”寛容性“や、”相手への尊重“の要素が強いと思います。その時に出される意見が、これまたもっともそうだと更に議論が続いて

「くだらない話でも全然まとまらない地獄」!

 

 

イタリアのマナーの良さ、悪さ、車が突っ込んでくる!

信号のない横断歩道を渡る時に、横断歩道から半歩出て渡りたい風に見えていると、大抵の車は止まってくれます。

止まってくれない車もあります。前をよく見ていない人が運転しているか、携帯を見ながら運転している人や、強気タクシーとか、自分の事しかあなまり考えてない?っていう人たち。

そういう例外を除いて、運転手と目が合うとだいたい止まってくれます。突っ込んで来られてもブレーキが間に合えばね!

目があったまま轢き殺したりはできないですしね。

中国在住で車好きの日本の方に、「あの車は先に通さないといけない。(ボルボのグレードの高い高級車を見て)」と、伺った事があります。それに関しては車のグレードがさっぱり分かっていない私なので、気づいていないだけかもしれません。

ピサ 

凝視してますね。ピサのサン・マッテオ美術館の彫刻

 

子供に優しい

これは本当に。

街中に子連れで歩いていると、子供に話しかけてきたりする人がしょっちゅう。スーパーのパン売り場でもスキアッチャータっていうそのまま食べても美味しいパンを切り分けてくれたり。

外出中に突然の雨で困っていたら、傘を貸すんじゃなくて、くれちゃったおじさまもいたり。

ジジババが孫がかわいすぎて、甘やかしてすごい事になってる場合はまた別として。。

 

違いをすごく意識する時、自意識

日本に帰省するとなぜかテレビ番組などでよくある”日本は海外からどう見られているか“という、自意識過剰と思われる視点のテーマが多くあるのに気づきます。もしくは、”海外でも人気の〜“というキャッチコピー。はたまた、オリンピックの”おもてなし“。

少なくてもイタリアにはあまりないタイプの視点です。”海外でも人気のイタリア料理!“ 、、いや、これは言う必要がない。。だけど、イタリア国内ではイタリアの各地方都市の芸術や文化とか料理とか、そういったものを特集しているテレビ番組で、”海外から見たイタリア“って、ありえません。たまにあったとしても、イタリアの公共事業の遅さとかを批判する時の比較対象に多いかな?

 

こういった日本の番組は、”日本人自身”を省みて、自尊心を高めたり、国民性を賛美したり、はたまた海外ではこうだから日本もこうするべきだ、などというメッセージが送り込まれているように感じてしまいます。それによって、他者からどう見られるかという点においてプライドを保つという、他に依存しすぎた危うい立場に追いやられてしまわないでしょうか。他者が要求する事に応えようと外面を取り繕い、内部が空洞化するっていう状態。

日本文化を見つめる時に、必ず他者(海外から見られる日本)という視点が必要になるのは、既に日本文化以外のものを多く貧欲に(戦後のGHQ統治から強制的に)取り入れてすでに内面化がなされている為と、どこかで読んで納得したのを思い出しました。一旦輸出され、欧米で評価される形にプロモートされた日本文化が再輸入されたのが、受け入れられやすい日本文化や芸術、デザインだったり。

 

母国の外で子育てをしつつ、アイデンティティーはどこで育つのか、という問題によく直面してそんなことを思います。グローバル社会と言い、英語教育を早期から施すと、英語の後ろにあるかなり違う文化をどこまで引っ張って取り入れればいいのだろうか、と疑問にも思います。

イタリア語はやはり日本語よりも英語によっぽど近いので、イタリア語-英語の学習はうちの子の学習を見ているとかなり楽なのだろうな、と思います。そのまま直訳できることが多いです。

ミラノ

どーんと神。別に意味はないけど。ミラノ大聖堂美術館

 

 

日本で、誰もが持つ本来の優しさが出しにくい

他者からどう見られるかを気にして、比較的強く自制する必要のある国だと、他人に優しく(気を使って)自分を抑えて、、抑えすぎると結局は他者に対して閉鎖的になってしまいますよね。本心を見せる事のない状況が続くのですから。

そうすると、他者を警戒してなるべく意識しないように、なるべく関係を持たないように、満員電車で至近距離にいてもその相手は全くの意識の外の関係のない物体に近い人として認識して、ごくごく身内の中でしか優しさを発揮できない?

妊婦だった時、まだ子供が歩けなくてずっと抱っこをしていた時、日本で交通公共機関を利用中に完全無視で誰も席を譲ってくれなかった時には、びっくりしました。これは、自分には全く関係のない”他人”にする態度ですね、。自分の家族が大変な思いをしている時に、誰が自分だけ座って妊婦を立たせたままにするでしょうか?

逆に、子供がある程度大きくなって、電車でも立っていられるようになったので、小さい子連れの母子に席を譲ったら、こちらが驚くくらい感謝されてしまいました。、、あまりない日常的には席を譲ってもらえてなさそうです。

(通勤ラッシュの時間帯に乗った訳ではありません。)

 

 

それは彼の問題で、私の問題ではない。

でもですね、どうにもこうにも、いろいろイタリアではシステム的にも機能していないし、色々な場所の職員は効率の悪い仕事をしているし、職員自身の私情でイライラしてる人などから、ひじょーに失礼な対応をされる時もあります。

はたまた、外国人という事や、中国人扱いされて嫌な思いをする事もあります。(まず第一に中国人と思われる事が間違いで腹が立ち、中国人という理由で差別しているのも気に喰わないですね。)

そんな事を某イタリア人に愚痴っていたら、「それはこちらの問題ではなく、彼の問題だね。」との返答。

確かに、それは差別や無礼な対応をする人間の無知や至らなさの問題であって、こちらには非はありませんね。なので、嫌な気持ちになるのは無意味です。

いろいろ、問題の多い国イタリアで生まれ育つと、他人の問題は自分の問題と受け取らずに、分けて考えられる技みたいなものを習得できそうです。

良いストレス回避法です。

でも、この考え方を貫き通すと、どうなるか、、

無反省で改善という言葉を知らぬイタリア人が出来上がります!!

めでたい!!