サマータイムはサマーがとっくに終わった秋日和な本日終了。
1時間ゆっくり寝れる!と喜んでいたら、朝6時きっかりにうちの上の階でトンカチの音、ノコギリの音。うちの上の階は空き家だったのが最近になって入居者があって、日曜日になると新居の改造なんだか朝7時きっかりから作業の始まる音が聞こえます。それが、今日は朝6時。
時計回すの忘れたでしょおおおおおお!!!
と、ホウキの柄を天井に”こつこつこつこつっ!!”打ち付けて、抗議の表明。トンカチの音に負けつつも、2回目の反撃で、どうやら分かってもらえたようです。もう目が覚めちゃって寝れないけど、。
と、そんな始まりの日曜日。午前中にお仕事@ウフィツィ美術館。
今日は車椅子の方を含めて16名のお客様。荷物検査を終えて、入り口奥のエレベターに着くと、誰もエレベーター待ちの人がいない。6人乗りのエレベーターが2機ありまして、どっちともちゃんと動いている模様。
では、全員エレベーターで行こう、、と呼び出しボタンを押して待っていると、不機嫌な顔をした係員登場。「ハンディーキャップの人以外使えない決まりなの。若い人は全員階段を登って。」
って、いつからそんな決まりできました?おとといは13名全員エレベーターで行きましたが???
こういう決まりって、突然前触れもなく変わる事もあるし、係りの人によって言う事が違うだけだったり、単にそういう気分だけだったっていう時もあるし、やめて欲しいですー。他の人にはまだ聞いていないので、それが正式な規則なのかどうかはまだ未確認。謎です。
でも重要な決まりだけはちゃんとウフィツィ美術館から公式のおふれが出ています。「12月1日からガイドを含めて8人以上のグループは、イヤホン着用が義務。」はい、了解〜!
そんな午前中を過ごして家に帰り、うちのお子様はお友達の家へ夕食後までお邪魔中。さあ、のんびり優雅な日曜の午後。おほほ。
日本史、日本美術史の復習始めてます。
横尾忠則のカバー絵って素敵ですね。内容も日本美術を俯瞰できて良いです。
久しぶりに復習すると、結構忘れていた事も多くて改めて面白い。日本史の記憶なんて特に20〜30年前の事になるので、いやー、新鮮。”藤原道直”が”直道”の方が自然な気がして何回も繰り返して覚えました、中学生の時だったかな?
他、日本滞在中に買ったものなど。
中には大学時代の授業で買ったものもありますが、今日の午後は気まぐれに楽しもうと思っています。
「神曲」
この中で(読んだものの中で。)気に入ったのは、左のダンテ「神曲」こちらもイタリア語原文が難しいので(先日のブログでのヴァザーリの本と同様。)、日本語に逃げました。日本語は日本語でも言葉遣いがかなり古めの訳文もありますが、こちらは読みやすいです。私は漢文とか苦手なタイプなので、文字は内容に気持ちよく入っていける敷居の低い書き方がされている方がいいです。この辺は好みですよね。
「西洋建築様式史」
大学時代の先生が一部執筆をされています。その先生の授業が面白かったのが、今のイタリア建築好きのきっかけかもしれません。もともと私自身が建築学科志望だったのもあり、その当時とても惹きつけられました。本自体は基本的な事がシンプルに書いてあります。
「ヘンな日本美術史」
これは最近読みました。面白いです。今の私たちの視点からでしか、逆立ちしても”その当時”の日本人の絵の見方をする事ができないのをしっかりと自覚した上での日本画の鑑賞、観察を彼独自の鋭い感性から見せてくれます。
「日本神話」
パラパラめくっています。世界の神様と比べて、なんて日本の神様は平和なんだ!と最初からほんわかしました。が、文章とイラストが同じ内容を示していて、どっちをメインにするか決めてページ数減らしたら?と思います。今の時代、書籍はイラストが多い方が売れるんでしょうけれども、
「カルチュラルポリティクス」
20代で読んで、すごく気に入ったのでイタリアにまで持ってきてますが、全然読み返していません。その時代に思った事と今思う事と違うのかしら?扱っているテーマが、1960-70年という意図的で限定的な期間です。そうそう、この写真にないけれども「偽りの民主主義」という本も日本史をまた違う角度から見せてくれて面白かったです。日本人会のくじ引きでイタリア人の友達が当たった商品だったのだけど、日本語を読まない友達なので私に行き着いた本でした。
「間(ま)日本建築の意匠」
これも大学時代の先生の本。日本建築は、西洋建築史を考える目線とは違う観点があるという事を気づかせてくれます。目に見える建築物だけを見るのではなく、柱と柱の間、間隔、空間、それを、間(ま)と言う一つのエレメントとして扱う、と授業の始めにおっしゃられていたと思います。あと、場(ば)についての言及も面白かったです。でも、この本を買ったものの、、読んでないかも?!
「郵便的不安たち#」
これは、その前の「存在論的、郵便的-ジャック・デリダについて」よりもかなり読みやすく、その当時の日本の現代美術にまつわる内容も扱っていて、楽しめました。その後の展開を追っていないあたりがグズグズな私ですが、「存在論的–」が本屋で発売になった時に著者名が気になり手に取ったのがきっかけです。多分、高校時代に予備校で英語の講師をされていた東先生と同一人物かと思うんです。その当時、私は美術大学に行くからいいやーと思い始めていて、勉強はなぁなぁ(!)になってきていたところ、この先生の英語の授業が素晴らしく分かりやすく楽しく、中間試験で点数が素晴らしく上がってしまい次に選抜クラスに入れられて困ったという思い出があります。
「西洋美術史」
これは個人的には全くおすすめできません。内容的には中学生の資料集程度なのに、値段が高い。イタリア語のItinerario nell’Arte(学校の美術の教科書としてよく使われます)の足元にも及ばない。こういう点においてはイタリアの美術教育の水準の高さがうらやましく思います。文化庁と、文化財・文化活動省の差でしょうか。日本の美術教育において、宗教を神経質な程にまで避けてしまうという性質がありますよね。しかし、例えばミケランジェロのピエタを形態の美しさを賛美しつつ、なぜそのテーマを知らない、語らない、で済ませられるのか、不思議です。西洋美術を鑑賞する上では避けては通れない内容なのに。そして、同じく日本の神々や仏についても学校教育で教わった記憶が一切ありません。信じる信じないは個人の自由ですが、その前にそこにある、目の前に存在するテーマに目隠しをして作品の形態や色彩やマチエルなど感覚的にのみ楽しむ事を主眼とするのが美術と考えるのであれば、白痴と思われても仕方がありません。
かといってイタリアの美術教育を手放しで賞賛しているわけでもありません。イタリアでの現代美術の作品を見るにつけ、その歴史や宗教観やオーダーにぐぐっと引っ張られたまんまの痛々しい姿を見てしまったりもしないでもないし、、それがそのまま肯定できる素晴らしい作品であったり、、
日本において、サブカルチャーを引き合いにして、そこから羽ばたけ!みたいな作品もまあ、ありですよね。でもね、それを自覚してやるのと、それだけを見て日本の美術教育の中にいて「オリジナリティーとは。。」と悶々とするのは違いますし、なにより不遇です。
と、最後になってしまいましたが、なんで日本美術史なのかと言いますと、
現在ウフィツィ美術館ににて日本画の特別展示開催中!
Il rinascimento giapponese. La natura nei dipinti su paravento dal XV al XVII secolo
-日本のルネサンス。15世紀から17世紀にかけての襖絵の中の自然-
場所はマリャベーキの間っていう分かりにくい部屋。美術館の鑑賞が終わってブックショップなんかのあるあたりの右に、がんばって少しでも上品に目立つように工夫してあるゲートがあります。そこを進むと薄暗い部屋があり、扉を開ければそこです。写真撮影は禁止ですので、ここで写真のご紹介はできません。
ウフィツィ美術館は見応えがあるので、全部を丁寧に観て回るとかなり疲れますが、ブックショップなどでちょっと一息休憩を入れた後に、こんな所で見る事のできる日本画の大作の数々を楽しんでもいいのではないかと思います。