メディチ・リッカルディ宮殿 Palazzo Medici Riccardi

メディチ リッカルディ宮殿
メディチ リッカルディ宮殿

メディチ リッカルディ宮殿のなりたち

現在の通りがカヴール通りではなくラルガ通りと呼ばれていた時代、15世紀半ばにサン・マルコ教会近くにあった旧メディチ邸から、こちらに新しく家を建てて移り住みました。

かつての有力貴族たちが、妬みや中傷や陰謀などでたやすく政界から追放されゆくのを見ていた老コジモは、自分たちの家の設計を見た目を質素に、とミケロッツォ・ミケロッツィに依頼します。
フィリッポ・ブルネッレスキがその前に豪華なデザインをして却下されたとも言われますが、そちらは共和国派だったブルネッレスキを採用したくなかったという政治的理由によると考えられています。
実際にブルネッレスキの案を元に弟子が設計したピッティ宮殿のオリジナルの姿はこのメディチ宮殿(リッカルディ家による拡張工事の前)にそっくりです。
外壁からの見た目はこのようにあまり派手ではありませんが、地下の基礎構造は非常に堅牢な造りをしており、メディチ家の潤沢な資金が感じられます。

1600年代半ばに、すでにピッティ宮殿に居を移していたメディチ家からリッカルディ家に売却され、増改築が施されます。この時からPalazzo Mediciメディチ宮殿(メディチ邸)からPalazzo Medici Riccardiメディチ・リッカルディ宮殿へと呼ばれ方が変わりました。
リッカルディ時代に描かれたルーカ・ジョルダーノによる天井画の鏡の間は壮麗です。

メディチ宮殿に元々収められていた美術コレクションの数々は、メディチ家が追放の憂き目に遭った時に各地に散ってしまいますが、現在でも残る東方三博士の礼拝堂(マージ、もしくはマギの礼拝堂)は小さな空間に隙間なく繊細な装飾画が施されたベノッツォ・ゴッゾリの代表作。
現在、美術館として公開されていて見学可能です。

メディチ リッカルディ宮殿内部

バッチョ・バンディネッリ メディチ リッカルディ宮殿

メディチ リッカルディ宮殿 中庭

オルフェウス – バッチョ・バンディネッリ作。中庭を飾る16世紀の彫刻。台座にはメディチの紋章が見られます。

ヴィーナスとアモリーノ ミケランジェロ

近年の研究で若い頃のミケランジェロ作(推定)とされた小さなレリーフ。中庭にあります。

メディチ・リッカルディ宮殿 ミケランジェロ
東方三博士の礼拝 ベノッツォ・ゴッゾリ

東方三博士の礼拝堂 Cappella dei Magi ベノッツォ・ゴッゾリ/べアート・アンジェリコ

宮殿内にあるこの小さな礼拝堂には美しい装飾画が施されています。ベネッツォ・ゴッゾリの代表作。東方三博士の行列の中には理想化された偉大なるロレンツォの馬に乗る姿。全く本人とは似ていません。
その他にもメディチ家のメンバーや、ピウス2世、ヨハネ8世パレオゴス、リミニのシジズモンド・マラテスタ、ミラノのガレアッツォ・マリア・スフォルツァ、画家本人も描きこまれています。

鏡のギャラリー Galleria degli Specchi ルーカ・ジョルダーノ

1682〜85年のルーカジョルダーノによる天井画。鏡のギャラリーと呼ばれるのは周囲の壁に装飾を施した鏡が貼りめぐらされており、空間を大きく見せています。

鏡のギャラリー ルーカ・ジョルダーノ メディチ リッカルディ宮殿
ルーカ・ジョルダーノ 鏡の間

鏡のギャラリー 細部

上部には神々を模したメディチ家のメンバー、下の青い布の下は夜を表します。

聖母子像 フィリッポ・リッピ

この板絵の裏側にはリッピのデッサンと推定されるものが見られます。

フィリッポ・リッピ メディチ・リッカルディ宮殿
メディチ・リッカルディ宮殿 地下

メディチリッカルディ宮殿 地下への入り口

建物の基礎部分に入れ、そこが展示室にもなっています。

-見学コース

地上階: 中庭と庭は無料で開放されています。チケット売り場、クローク、中庭に面した別の扉(南側)からは、企画展の展示室があります。

地下階: 大理石美術館Museo dei Marmi(大理石製の彫刻コレクション)、考古学コースPercorso Archeologico(考古学コレクション)があります。

1階(日本式2階): 東方三博士の礼拝堂、鏡の間など美術館コースのメインとなる場所。

メディチ・リッカルディ宮殿 インフォメーション

-所在地

Via Camillo Cavour, 3

-開館時間

9:00-19:00

-休館日

水曜日

-メディチ・リッカルディ宮殿オフィシャルページ

Palazzo Medici Riccardi

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