イタリアの祝日 エピファニア(公現祭) 1月6日
1月6日はEpifania エピファニーア(公現祭、東方三博士が生まれたばかりのキリストに礼拝する日。)です。
クリスマス関連の一年で一番重要な祝日を締めくくる最後の祝日であり、グレゴリオ暦一番最初の祝日でもあります。
(追記-1月1日の祝日を忘れてました!なので二番目。だけれども宗教的祭日としては一番目。)
この日は、その東方三博士が旅をしてキリストの元にたどり着き贈り物をしたのを再現してCavalcata dei Magi カヴァルカータ・デイ・マージと呼ばれるパレードのような行列をします。
残る文献によると1417年から始まり、最初は三年おき、1447年からは五年おきに開催されていたカヴァルカータですが、1494年に厳格な宗教者であったSavonarola サヴォナローラの意向により中止されます。
そもそもがフィレンツェの影の支配者であったメディチ家の要素の強いお祭りであったので、このメディチ家が追放されると共に廃止された訳です。
現在の形はわりと最近の1997年からで、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の建設700年を記念して行われるようになりました。(1496年に建築開始)
昔はサン・マルコ教会から始まって終わりましたが、今はピッティ宮殿から始まり大聖堂で終わります。
この行列、何回も遭遇はしていましたが、ちゃんと見た事がありませんでした。
今年は初めて列の最初から最後まで見てみました。空腹に耐えながら!
行列 カヴァルカータ・デイ・マージの様子
後ろに見えるのはオルサンミケーレ教会です。
別に気にした訳ではないけれども、意外といい場所で見物?と思っていたら、割り込みの人たち、というかどんどん前に出過ぎて行列の邪魔になっている人たちと、他のところから前に入ってくる人たちと、子供のグループをガンガン前に入れてくる人たちでいっぱい。
こんな衣装の人たちの行列に、、、
太鼓にラッパに、かなり賑やか
そして、メインの東方三博士が後ろの馬に乗った人たち。
手前の三人は、それぞれに乳香、黄金、没薬の贈り物を持っています。
油断していたら、もう通り過ぎてしまった…東方三博士の背中。
その後は、羽を開いてかっこいポーズの鷲
その後に、民族衣装を纏ったフィリピン、スリランカ、ペルーなどの国の人たちが続き、、
15世紀の伝統の現代版で、あらゆる場所からの参加者がいるんだそうです。
行列の中に知り合いを見つけて、抱擁して挨拶をしている人もいたり、一気に空気感はラテンアメリカになる不思議。
犬も参加していたり、、、
犬の衣装はさすがに現代のもの。寒いのか、ダウンを着ています。
ちなみに、行列の人たちが来ている衣装は、映画で使われた衣装の再利用だったりします。
ミミズクも参加してました。
手前の旗の紋章は、ヴィスコンティ/スフォルツァのと、メディチのものが合わさっているので、Caterina Sforza カテリーナ・スフォルツァとGiovanni de’ Medici il Popolano ジョヴァンニ・デ・メーディチ・イル・ポポラーノの息子、Giovanni dalle Bande Nere ジョヴァンニ・ダッレ・バンデ・ネーレのものです。
その後ろには、彼が率いた傭兵っぽい人たちが続きます。
行列は最後に中央大聖堂前の生身の人間のやっているプレゼーペ(キリストが生まれたシーンを再現したセットで、箱庭サイズから実寸まで色々)前まで進み、贈り物を届けます。
大聖堂前にはこの時期、小さな小屋のようなものが建てられて、近郊の町モンテルーポで製作されたテラコッタのプレゼーペが飾られます。
かなり長い行列なのでご紹介したのはそのほんの一部ですが、この再現にあたって参考にされた絵がメディチ・リッカルディ宮殿にあります。
こちらの絵。↓
ベノッツォ・ゴッゾリによる「東方三博士の礼拝」。
メディチ・リッカルディ宮殿のCappella dei Magi 東方三博士の礼拝堂の全面の壁にある装飾画です。あまり大きくはない空間にびっしりと描かれていいます。
この絵は1459年にメディチ家の当主であったCosimo ii Vecchio 老コジモが注文したもので、オリジナルのカヴァルカータがまだ行われていた時代の記録でもあります。それで現在に再現する時にこの作品を参考にした訳ですね。
ちなみにこの日はベファーナとも呼ばれます。エピファニーアから変化した名前です。5日〜6日の夜に、前年に良い子にしてると靴下にはお菓子とおもちゃなどが入れてもらえて、悪い子だと墨やニンニクを入れられてしまうというものです。
なので、この時期はお菓子屋さんで石炭のような形をした黒い砂糖菓子が売っています。