メディチ・リッカルディ宮殿の企画展と

トーラー

メディチ・リッカルディ宮殿、

なんで「宮殿」と呼ばれるのかが不満なもので、わざわざ紹介ページにその旨を書いてしまいました。

メディチ・リッカルディ宮殿 Palazzo Medici Riccardi

相変わらず夜なべでサイト製作中。ページを増やしています。
更に今朝は、朝6時半にピンポンダッシュ(酔っ払いかな、。)で、強制早起き。現在、 眠気最高潮の意味の分からぬハイテンション。これでブログを書くとどうなるのでしょうか。いつも通り地味になる予感。(・追記・結果、誤字脱字が多かったので修正しました。)

地味に開催中のメディチ・リッカルディ宮殿の特別展示に行ってきました。

なんで地味かと言うと、まあ、本当に目立たないのですね。

そもそものメディチ・リッカルディ宮殿はウフィツィ美術館とかほどは有名でないのに加えて、この特別展示は順路ではなく中庭側に出入り口があるので見落とされがち。 展示内容は、1966年11月4日にあったフィレンツェ大洪水で被害にあった作品が集められています。 こんな川が近い街で、かつ過去に何回も洪水に見舞われているのに、なんと書庫や作品庫が地下にもあったんです。 国立図書館の地下に保存されていたイタリア随一のパピルスの書物コレクションも、水に浸かり永久に失われてしまいましたし、それ以外にもとんでもない数の作品が被害にあって、その修復をするのか否かも含めて、考えさせられる展示でもあります。

その中から、かいつまんでいくつかご紹介します。  

 

 

ヴェールを被った老人の肖像

ヴェールを被った肖像

ローマ共和国時代の作品です。この時代はかなりリアルな人間味のある表現です。シワもリアル。 その後、帝政に移ると理想化したシンプルな表現になっていきます。こちらは洪水の被害の跡は見られません。

 

 

ユダヤ教の聖典、トーラー

メディチ・リッカルディ宮殿 展示 トーラー

フィレンツェのユダヤ神殿はアルノ川からは離れているのですが、土地が低い地域にあるのでやはり洪水の被害を受けてしまいました。 トーラーは、宗教行事の際に男性の神官が専用のバチを使って扱うもので、決して素手で触ったり私たちが間近で見ることなどできない神聖なものです。
ところが、一旦こうして被害に遭ったりなどして不完全なものになるとトーラーとしては一切使えなくなり、新しいトーラーが手書きで作り直されます。 なので、洪水後に作られたトーラーを現在でも使っているはずですが、神殿に見学に行っても当然ながら見ることはできません。
神殿は一部は美術館として一般公開されています。入る時にカメラ、携帯電話など一切の電気製品は入り口に預けなくてはなりませんので、もしかして一種の電磁波フリーゾーンになっているかもしれません。そこは街中とは思えぬ静けさが広がる、神秘的な場所です。(追記 – 最近は通信機器を持って入れるようです。) なので、その決して見ることのできないトーラーがこんな目の前にある、とても貴重な機会です。

 

 

ピエール・フランチェスコ・シルヴァーニのサン・フィレンツェ教会の設計案のモデル

サン・フィレンツェ教会モデル

サン・フィレンツェ教会はヴェッキオ宮殿の斜め裏あたりにあるバロック様式の教会です。
このように大きな木製の模型まで制作されたものの、この案は金銭的にも余裕がなく実現しませんでした。 この模型が展示されたのは初です。普段はバルディーニ美術館所蔵で、一般公開はされていないものです。 クーポラのデザインなど、ミケランジェロの影響がすごく感じられるローマ風デザイン。

 

 

ネーリ・ディ・ビッチ 聖人に囲まれた三位一体図

メディチ・リッカルディ宮殿 展示 ネーリ・ディ・ビッチ

こちらの作品はヴェッキオ橋近くのサン・ニッコロ・ソプラルノ教会の聖具室に収めれていてるのですが、その聖具室は公開されず閉まったまま。 全く見る機会はなかったのが展示されています。なのでこれも初お目見え。
他にもサンタ・クローチェ教会所蔵だけれども、全く一般公開していない作品も展示されていました。
実は、ウッフィツィ美術館やピッティ宮殿にも他の場所にも、とてつもない量の作品が展示されずに眠ったままになっています。もう一つフィレンツェに大きめの美術館ができてもおかしくないのですが、どの作品がどの現在の持ち主とつながりがあるかなど細かい歴史的な問題と、コストの問題もあり、結局こういう特別展が催される時のみお蔵入りの作品が見ることができます。

 

 

フランチェスコ・ボッティチーニの作品

こちらの作品は今回の展示のエンブレムになっていて、展覧会のチラシデザインにもこれが使われています。

メディチ・リッカルディ宮殿 展示 ボッティチー二

画面下半分程まで洪水で水に浸かった跡がそのまま残されています。
修復時の洗浄は施されていますが、加筆はされませんでした。 修復の一つとして絵の中にできてしまった空白部分に、線描で色が加えられる事がよくあります。作品を鑑賞しようとしても、空白部分が目に付いてしまって全体が見えてこないという場合、色のトーンを周囲の部分と合わせるために細かい筆で補完するんです。近くから見ると筆跡が見えるので、作品を初めて鑑賞する人でもその部分がオリジナルではない事が分かります。
でも、この作品の場合は失われた部分が大きすぎて、この手法を使おうとすると”修復”ではないレベルの”創作に近い加筆”になってしまうので、その配慮として敢えて加筆が避けられました。 今後もこの作品に手を加えられることはないそうです。大洪水の記録その画面に痛々しく刻んだままそれを隠す事なく、私たちの前に在ります。

 

ちなみに、前のブログ投稿↓で、聖ジョルジョが、聖ジュリアーノっぽい豪華な服装をしていると書きましたが、今度↑は聖セバスティアーノ(絵の中で一番左の聖人)が聖ジュリアーノっぽい華麗な衣装を着てまいます。アイテムの弓矢は体に刺さらず、手持ち。めずらしいですね。

壁の中の隠されたフレスコ画 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会