レオナルド・ダ・ヴィンチのレスター手稿展示〜フィレンツェ ウフィツィ美術館にて。
1994年にビル・ゲイツが巨額を積んで落札したレオナルド・ダ・ヴィンチ直筆のノート、レスター手稿。
その手稿が最初に筆をしたためられた地であるフィレンツェに、レオナルド・ダ・ヴィンチ没後500年を記念して戻って来ます。
レオナルドは1519年没ですので、そういえば500年になるんですね。
イタリアではしょっちゅうそういった記念の年に合わせた色々な展示会が開催されるのですが、これはビッグイベント!
私たちにとっては、あ、そんな年だったね。と、その時に思い出す程度でも、オーガナイザーはしっかりと前もって色々な年表を普段からチェックしているのでしょうか?
今回はFinestre sull’Arteの記事よりざっくり翻訳します。
20年の時を置いて、レオナルド・ダ・ヴィンチのレスター手稿がフィレンツェのウフィツィ美術館に戻って来ます。
この手稿のテーマは “自然について、水の動きと重さ” で、芸術と科学を繋ぐ一種の”メモ帳”となっています。360のデッサンと水の研究観察の覚え書き、水の状態(アルノ川とフィレンツェの洪水の危険について)、地質学、古生物学、力学に天文学。
当時の技術としては信じられないほどの洞察力で、潜水についても潜水用のマスクへの言及もあります。レオナルドにとって手稿は索引カードのようなもので、定期的に同じテーマの覚え書きか絵をカードとして追加していました。”レスター手稿” という名前はトーマス・コークThomas Cokeからレスター公爵Duca di Leicesterに1719年に売り渡されたことにちなみます。
フィレンツェには1982年を最後に帰っていません。レオナルドが1506年ここフィレンツェで書き始め、1510年にミラノで書き上げた手稿は、1982年時の所有者の意向でヴェッキオ宮殿に展示されました。アメリカ人石油業者で美術愛好者だったアルマンド・ハマーArmand Hammerがクリスティーズオークションで1980年に5,60億リラで落札。その後マイクロソフト創立者のビル・ゲイツが再びクリスティーズに競売にかけられた手稿を本一冊に支払われた金額としては現在でも世界最高額で競り落としたのが1994年11月11日。現在のドル価値にして50億ドルです。手稿の数ページはその時にデジタル化されWindows95のウォールペーパーとして配布されました。
ウフィツィ美術館シュミット館長の説明によると、 “2015年にアメリカのミネアポリスで展示された時から、熱心な計画が始まりました” また、カッサ・ディ・リスパルミオ財団協賛でガリレオミュージアムとの共同プロジェクトとして展示がされる、と話しました。
ガリレオミュージアムはあまり日本人観光客は訪れませんが、手の込んだ美しい計測器や天体球や、科学的な知識がなくても楽しめる良い場所ですので、もう少し知られてもいいのではないかと思います。
ウフィツィ美術館の出口を右に進み、アルノ川に面した立地も良い美術館です。
少し前に森美術館で開催された宇宙と芸術展で、いくつかガリレオミュージアムからの展示品がありました。
同じくレオナルドの手稿の一部、アトランティコ手稿も展示されていました。こちらはミラノ、アンブロージアーナ図書館所蔵です。
いろいろな作品があっちいってこっちいって、世界中を飛び交います。