アッシジ旅行、聖地とレンガの道 -1

アッシジ 聖フランチェスコ教会

 アッシジで、またやってしまった…。

一人の日帰り旅が趣味なのですが、別に友達と行きたくない訳ではなくて、歩きすぎの文句を言うのが私一人で済むからという理由で一人旅。

2km、3kmくらいの距離だと、交通機関は使わずに歩く方が好きです。
その方がその地に来た実感があるし、風景も楽しめるし。

でも、行きたい場所までの距離が3km、その次までが2km、その次が、、、となってゆくと、トータルでどれくらい歩いたのかは有耶無耶になり、修行僧状態。

でも、ここは聖地アッシジ。聖フランチェスコの聖地。
聖フランチェスコが歩いた道は車でもバスでもなく、徒歩というのは理にかなっている! 
と、とりあえず歩いたのコースが下の地図になります。

 

 グーグルマップ上に印を付ける機能を初めて使ってみました。こんな事できるんですね、面白い。
徒歩ルートはだいたいこんな感じです。
距離的にはあまりないけれども、高低差がかなりきつかったです。

で、冒頭に「またやってしまった。」と書いたのは、
前に来た時に、この地図の右上の方にぽっつりとあるErmo dei Carceriという所にやっぱり徒歩で行ってしまったからです。
行けない場所ではないけれども、若干遠い、いえ、立派に遠い。
駅から約7.5km。
普通はあまり徒歩では行かないらしく、普通に車道でした。
でも到着地点は世界遺産。すごく素敵な所です。

サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会

今回の旅の場合、まず駅の南側にあるサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会へ。

サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会

のっけからUNESCO世界遺産。
でも、これから見るもの、大体世界遺産ばかり。

サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会の中に、ポルツィウンコラという”教会の中の教会”のような建物があります。が、残念ながら写真撮影は禁止なので、画像はこちらをご参照ください。

Basilica di Santa Maria degli Angeli

Porziuncola

上記wikipediaのページをリンクしようと読んだら、いくつか面白い事を発見。

アメリカの”Los Angels ロサンジェルス”という地名はこのポルツィウンコラに由来していて、スペイン語で”El Pueblo de Nuestra Señora la Reina de los Ángeles del Río de Porciúncula” 我らの貴婦人の地、プルツィウンコラ川の天使の女王 と呼んだことから、だそうです。(我ながら訳がいまいち!)

あと、そのポルツィウンコラの正面のフレスコ画は、フリードリヒ・オーヴァーベックが描いたものだそうです。誰だよそれ?っていう画家かもしれませんが、この絵が有名。→イタリアとゲルマニア

そして、主祭壇の右手前あたりにCappella del Transito トランズィト礼拝堂という小さな建物がありますが、こちらが聖フランチェスコが亡くなった場所です。

 

お土産やさん

 さすが聖地、この教会への巡礼者が多いのに対応してなのか、ブックショップと言うか、お土産屋さんが大きい!

各国語のキリスト教系書籍から、ロザリオ、アクセサリーパーツにもなる部品やら。

 

タウ 十字架

やっぱり、タウ。
タウとは、このフランチェスコ会独特のT文字の事で、この形を見ると、とてもとてもフランチェスコ会を感じます。(?)

写真に写っているものの他にも沢山ありました。小さいのは1ユーロから。
ここに来た人は友達や家族の分もお土産に買ってあげたりするんだろうなー、なんて思いました。

アッシジまでの道のり ラ・ストラーダ・マットナータ

はい、そしてここから、アッシジの丘の上に向けて歩きます。
まずは駅方面へ戻り、そのまままっすぐの道を進む!

そして、見えて来た、、

 

サン・フランチェスコ教会

 聖フランチェスコ教会!
歩きながら、この角度から見ると、ちょっとポタラ宮殿っぽい?なんて思いながら進みます。

この進む道、よーく見ると、文字が書いてあります。

 

道 名前入り

アッシジまでの道のり、前回同じ道を歩いたのに、地面の文字には気づいてなかったのか、まだなかったのか、とにかく知らなかったので調べて見ました。 

La Strada Mattonata ラ・ストラーダ・マットナータ

もともとローマ時代からあった道で、聖フランチェスコもポルツィウンコラとアッシジを行き来するのに歩いていたというこの巡礼の道。聖人の没後、ここを巡礼する人が絶えず、1400年代になってレンガ敷きに舗装されます。それからこの道はマットナータ(レンガ舗装の)という名前で呼ばれるように。1600年代には道の両脇に日差しから巡礼者を守るための樫の木が植えられ、しかし1800年代から1900年代中頃までアスファルトで覆われてしまいます。1990年になってから、この道を見直すためにアスファルトを取り除いた所、昔のレンガ敷が再発見されます。そして、2000年、聖年という区切りに、ここを再びレンガ敷にする事になり、現在の姿があります。寄進した人の名前とその人の住む都市名が刻まれています。

ものすごい沢山の名前があるこの道、約3km。寄進した人はどうやって自分の名前を探すのかと思っていたら、ちゃんと調べられるようになっていました。この→ページにて。

 レンガの道の終着点、大きな文字があります。

道の到着点

PAX ET BONUM ラテン語で「平和と善」。 

 

 

マットナータ

 

続く↓