懲りずにフィレンツェからナポリまで日帰り旅行をしてきました。
若干行き帰りに時間がかかるものの、交通の便の悪いところに行くよりは乗り換えもなく、かえって1日だけだとスケジュール調整もしやすく楽です。
滞在時間が9時間弱の今回のテーマは、
ナポリのカタコンベ!
ナポリにある有名なカポディモンテ美術館に行く途中にあるカタコンベ、気になってはいたものの、なかなか面白そうなのでまとまった時間を取って行こう、そして、暑い時期に行こう!と決めていました。
暑い時期に行きたかったのは、「夏でも中が寒いので上着を持ってくるといいです。」と、公式サイトに書いてあったからです。
・公式サイト→ Catacombe di Napoli e Rione di Sanità
(トップページに出てくるカタコンベ内をスワイプで光で照らす事ができます。)
さあ、いよいよ、暑くなった、かなり暑い!よし行こう!
と、7月に予定を組んだものの、行きの電車でスカーフ一枚しか羽織るものを持ってなかった事に気づきました。(→結果的には全然ok。大丈夫でした!)
今回ご紹介するカタコンベは、サン・ガウディオーゾと、サン・ジェンナーロ、同じサニタ地区にある2つのカタコンベです。
同じチケットで両方に入れて、片方しか入れなくても12ヶ月間有効なので、また次回訪れた時にもう片方も入る事もできます。
サン・ガウディオーゾのカタコンベ
カタコンベ、って要は地下のお墓です。
教会がそれぞれに違う様に、カタコンベもそれぞれ違いがあります。
ここ、サン・ガウディオーゾは10:00-13:00までと入場時間が短いので先に行きました。
必ず係りの人が説明しながら案内してくれるツアーに参加する形になります。
英語とイタリア語がありますが、英語ツアーはどちらのカタコンベでもさらっと先に終わっていたので、なるべくイタリア語ツアーに参加がいいかと思います。
質問があったりすると、そこから話が長くなるのもイタリア人、面白い話も聞けます。
入り口は、このサンタ・マリア・デッラ ・サニタ教会の中にあります。
一見普通の教会ですけれども、内部の左奥あたりに受付がありそこでチケットを買えます。
(ネットでも買えるみたいですけれども、現地購入でokでした。)
時間になると、主祭壇前にある階段から地下にあるカタコンベへ降りて行きます。
もともとはヘレニズム時代に墓場として使われていた場所で、そこに紀元451〜453年の間に、サン・ガウディオーゾ(聖ガウディオーゾ)が埋葬され、信仰の対象になります。
その時代の初期キリスト教美術のモザイクやフレスコ画も見られます。
後期中世に入ると、斜面にある土地に地崩れで泥が入り込むようになり、次第に忘れ去られてゆきます。
盗難もあったりで大事な聖遺物はもっと安全なナポリ城壁内へ移動されて、ますます忘れ去られ、
16世紀に入ると、泥に埋まっていた”サニタの聖母マリア”のフレスコ画が発見されます。
そこからまた再び聖地として見られるようになります。
17世紀に入ると今度はセレブと聖職者の為の墓地になります。(忘れ去れていたのに大躍進!)
で、そのセレブの墓がこちら↓
結構、面白い。
頭部に思考が宿ると考えていたので、遺体を乾燥させた後に頭だけ切り離して飾っちゃています。(頭蓋骨は壊れているので穴みたいに見える。)
マカブロな趣味が流行った時代で、体はフレスコ画、頭は骸骨っていうちょっと苦手な人もいそうなスタイル。
フレスコ画では、それぞれの生前の社会的ステイタスが描かれているが、服装とか持ち物から分かります。騎士や司法官や医者やら。
頭の横には名前や亡くなった年、モットーなども書かれています。
女性にはちゃんとドレスを着せています。↓
こういった墓を作るのには、かなりの額の寄進が必要だったそうです。いわゆるVIPの墓。
それなのに、「死ねばすべては無になり平等。」という意味のモットーが書き込まれていたりします。その平等な死の為に、巨額を費やしてこんな墓を作らせるって、それもそれですごい。
このフレスコ画はそんなに広くはない廊下に沢山あります。面白いので、是非実際に行って見て欲しいです。
そして、こちらの穴は何だと思いますか?
墓ではありません。Scolaturaスコラトゥーラと呼ばれるもので、亡骸を座らせる場所です。
この穴の下にボウルみたいなのが入るスペースがあって、そこに液体物(!!)が流れます。
つまり、遺体を乾燥させるための場所。
膝から下は手前に出した状態で座らせて、頭は壁にちょっとつけてある窪みに乗っけます。
ここで乾燥が終わると骨は洗われてきちんとした墓に改めて埋葬します。何体ものご遺体が乾燥中の状態は、かなりの匂いだったそうです…。(今は全く匂いません。)
このスコラトゥーラの区画は教会のクリプタの真下にあります。クリプタの床には穴がいくつか空いていて、葬儀が済んでからすぐにご遺体を下へ降ろすという合理的なシステムだったそうです。
フォンタネッレ墓地
次のサン・ジェンナーロのカタコンベに行く前に、徒歩で15分くらいのフォンタネッレ墓地Cimitero delle Fontanelleに寄りました。
今まで見た事のないタイプの墓地に、墓地好きとしては大興奮。
参考→ タグ 墓地
ここは黒死病などの伝染病で亡くなったもう名前も分からぬ犠牲者を全て受け入れた墓地で、約4万もの遺骨があるそうです。
一説によると、地下に埋められて発見されてないのも含めるともっと沢山あるとも。
ここはナポリの街づくりの為に、1600年代まで凝灰岩を採石していた場所です。それでこんなに大きい不思議な空間があったんです。
この場所を墓地として最初に利用したのは1656年の黒死病流行の時で、1836年のコレラ流行まで使われました。
1872年に一般公開されたものの、きちんと公開されるようになったのは、つい最近2010年の事です。
カタコンベを案内してくれるのは地元サニタ地区の若者なのですが、彼らがこの墓地で寝起きまでして綺麗に整備して、行政に訴えかけてようやく実現したそうです。
このサニタ地区は、少し前までは”価値のない場所” “治安の悪い場所”として、あまりその文化遺産を顧みられる事がなかったを、地元の若者自ら率先して勉強をしてプロモートして、雇用を増やし地域を活性化させて、今ももっと活性化させる為に活動中なんだ、と熱心に語っていました。
最初は5人の若者グループで始まったのが、今では20人を超えるグループとなっているそうです。
墓地内部は本当に大きくて、礼拝堂もあります。
積み上げられた頭蓋骨の一つ(写真右から2番目)のおでこに十字架、
「JESUS TI AMA」-神はあなたを愛している- の文字が直接書かれていまいした。
サイズが他よりも小さいので、伝染病で亡くなった子供でしょうか。
いたたまれないような気持ちと共に、名前も分からぬままに積まれていても祈りを捧げる人たちがいる事に安堵のような温かい、複雑な気持ちでこの墓地を後にしました。
サン・ジェンナーロのカタコンベ
サン・ガウディオーゾのカタコンベから、歩いて20分程(上り坂なので到着時は汗だく!)のところにあるのが、このサン・ジェンナーロのカタコンベ。チケット売り場は丘の上にあるインコロナータ教会のすぐそばにあります。
こちらのカタコンベは、普通カタコンベとして思い浮かべるサイズよりもかなり大きいです。この広さ固すぎず掘りやすく脆くないという凝灰岩の性質があるからこそ可能で、そのあたりが地質の違うローマとの違いなんだそうです。
上の写真を見ての通りその広い空間に沢山墓穴があって、圧巻です。奥に奥に深く、しかも下の階まである!
もともと2〜3世紀に豊かな一族が墓として使い出し、それをキリスト教の組織に寄進したのが始まりです。4世紀初頭に聖アグリッピーノ(ナポリの一番最初の守護聖人)の墓、5世紀に聖ジェンナーロ(ナポリの守護聖人)の墓ができて、大きく発展しました。
時間になると、現地ガイドが案内をしてくれます。チケット売り場から少し進むと、下に続く階段があり、崖っぽい急な斜面を降りてゆきます。カタコンベの上の階から入り、下の階へ進む順路です。(上の写真は上の階。)
上の階は5世紀から6世紀にかけて造られた部分。
奥にはサン・ジェンナーロ(聖ジェンナーロ、ナポリの守護聖人)のお墓跡があります。
現在は空ですが、5世紀になってアグロ・マルチャーノからここにご遺体が移動され、831年にロンゴバルド王シコーネ1世がベネヴェントに持ち去るまで、信仰を集めました。それで、どんどんこのカタコンベが大きくなっていきました。
この墓の周りには、ナポリの司教14人のお墓も集まっています。
天井、壁画、モザイクなども若干残る空間を背に、、、今度は下の階へ移動。
下の階で一番最初に見えるのは、一番手前に大きな穴。洗礼の為のものです。8世紀パオロ二世司教の時代、政治的なゴタゴタからカタコンベに逃げてきた際に造られました。
その奥に、また深い長いお墓の穴が続く廊下。
左右にはフレスコ画が残っているところもあります。これは、不死や復活をを表す孔雀の絵。
以上、必見、ナポリのカタコンベ。
こんな素敵なカタコンベ、見に行かないときっと後悔!
夏だし、納涼にいいかもしれません。
では、Buon Viaggio!!
カタコンベ公式ページ→ Catacombe di Napoli
フォンタネッレ墓地公式ページ→ Cimitero delle Fontanelle di Napoli