その1
その2
に続いて、その3です。
ここまで書いたなら全部書いてしまえ。今回が最終回になります。
ミラノモニュメンタル墓地-その3
前回までで、目的のアドルフォ・ヴィルトの作品を全部見つける事ができて満足!さあ墓地を出ようか、と思ったら、まだまだ続く墓地の数々。魅力的。少し奥の区画に、魅力的な形のお墓を見つけて、そちらにも行ってみる事にしました。
こちらが、その区画の一部。
階段を降りてゆきます。
上の写真で右下に写っている物体へ接近。
棺桶と柳みたいな木、布、全てが大理石でできています。
模様の入った布の質感から、木の葉、棺桶、何から何まで素晴らしい意匠です。
この少女なんかも、
近づいて見ると、
屋外での雨ざらしに溶けていってしまいそうですが、とても細かい綿密な作業がなされているのが分かります。
そして、彫刻にばかり目が行っていましたが、ふと気付きました。この少女の像のお墓の側面に書いてあるヘブライ文字。
周りを見渡します。
この真ん中の燭台とか、もしやユダヤ?
ダビデの星なんかもあったりします。
ぐるっと回ってみると、こんな分かりやすいユダヤのシンボルがあちらこちらに。
燭台はメノーラと呼ばれる7本腕のもの。
一瞬普通の1900年代初頭のデザインの印象ですが、メノーラとダヴィデの星とヘブライ文字が入っています。この時代、ユダヤのシンボルはこういうデザイン化で時代に溶け込むんですね。
こんな日本にもどこかの公園に噴水として存在しそうなステンレス製の現代的(80〜90年代っぽいかな?)デザインもあります。
フィレンツェにも気になりつつもまだ行っていないユダヤ人墓地が2箇所ありますが、ここまで装飾的なお墓はあまり多くないはずです。(他人から聞いた話と写真などから想像するに。また行ったらブログに書きます。)
この一角のユダヤ人墓地コーナーでは少なくとも見た限りでは第二次世界大戦後あたりに作られた墓は特にユダヤと分かりやすいシンボルを入れている模様です。墓に記された年代でそれ以前は入っていてもあまり全面には出ないデザインが多いです。
そんな興味深いゾーンを発見したあと、墓地の入り口近くの建物の裏側に行きます。
気になったのは、ここ。
みんなで同じポーズ。
Enzo Bifoli エンゾ・ビーフォリというフィレンツェ出身の建築家のデザイン。1919年にヴェローナで起きた飛行機事故の犠牲者に捧げる慰霊碑だそうです。悲劇を忘れない為のベニート・ムッソリーニ口述からの碑文、ヴォールト部分も同じくムッソリーニの言葉、カッラーラ産大理石で彫られたアレゴリーを表す女性像が青いモザイクを後ろにくっきりと映えます。
そして、墓地の正面にあるこの建物、
その内部。
かなり広い空間が広がります。
ネオゴシック様式。
右端に見える棺桶は、アレッサンドロ・マンゾーニのもの。マンゾーニはフィレンツェのアルノ川沿いにあるフィリャッツィ邸に滞在して、”risciacquare i panni in Arno”-洗濯物をアルノ川ですすぎ直す-と言語を形容して、フィレンツェの言葉をイタリア語の基準とします。フィリャツィ邸にはそれを記したプレートが壁に貼ってあります、そのマンゾーニはここに眠ります。
では、また。