画像-wikipediaより。磯崎新のウフィツィ美術館出口デザイン。
磯崎新のウフィツィ美術館出口のデザイン
日本人建築家、磯崎新によるデザインがコンペで選ばれたのが、1998年。
それからもうざっくり20年、とてつもなく時が流れています。
(着工されぬままの時の経過。その事について、磯崎新のコメントをこちらで発見。なんとも、カミカゼ呼ばわりとは。)
2016年に磯崎案を推していたアントニオ・ナターリ館長からシュミット現館長に変わった際、今後磯崎デザインはどこへ行く?と思われていたのが、今回のG7で、フィレンツェ市長ナルデッラと共に磯崎新デザインの実現へ進ませる意向を見せた模様です。
元々1998年時点では1,000,000人の入館者を想定してデザインされたものだったので、現在の入館者数に対しては手狭であるとして、この裏手へ出る現在の出口(磯崎案予定地)の他、入り口側-ウフィツィ広場にもう一つ、あと、ヴァザーリの回廊を通ってピッティ宮殿へ出るもう一つのルートと合わせて、3つ出口を作る予定だそうです。
磯崎案自体も、現在の建築法に則ったものに変更が加えられます。
以下、La Repubblicaより抜粋要約します。(超直訳!)
文化のG7(参加国 アメリカ、日本、ドイツ、フランス、イギリス、イタリア、カナダ)の2017年の会合がフィレンツェで開かれた。
— 磯崎の設計(la loggia di Isozaki)が20年間にわたって除かれていたことについて「再び礒崎氏と繋がりを持てた事はポジティヴなことだ。」と先週日本で礒崎と直接会ったシュミット館長は話す。
「外観デザインについての議論は1990年代にできたことであって、それよりも今は前に進まないといけない。」どのようにして?「今年中には決定しなくてはいけない、そうしなければリスクだ。」工事には4年を要する。「もし2017年中に決定をしなければ、融資を受けられないかもしれない。」「20,000,000ユーロの支払いをゼロにしてくれるパトロンでも見つけない限り。」(実行しない事による)ペナルティは現在12,000,000ユーロを超えている。「この計画を実行しなければ、コストはより高くなることに疑問の余地はない。」
フィレンツェ市長ナルデッラは早期の決定を求めますが、プロジェクトが現在に合うかどうかについても意見を求め、それに対して「もちろん1998年とは安全基準は変わっているので、合わせる必要がある。」シュミットはまだ具体的ではないものの、礒崎本人に向き合う意向を示した。—
毎日沢山の入館者があるウフィツィ美術館の現在の出口は、あれ?職員用?と思ってしまうほど小ぶり。出口を示す”USCITA-EXIT”と書いてある札があっても通り過ぎてしまう人がいる程です。
(→ その後、出口前のブックショップが新しくなり通り過ぎる人はいなくなりましたが、相変わらず小ぶりな造りです。)
記事にはありませんが、美術館内にある膨大な作品数を全ての観賞者が4〜5時間も費やして鑑賞できる訳でもないので、美術館をいくつかの区画に分けてチケットの価格のバリエーションを増やし、かつ期間限定の特別展は別の区域(最近オープンした出口近くの展示スペース)に分けて、ヴァザーリの回廊をピッティ宮殿との通行路にするので、そこにある自画像コレクションをウフィツィ美術館に移して、、などの計画が知らされています。
あと、ヴェッキオ宮殿とウフィツィ美術館もヴァザーリの回廊で繋げる案もあり。
・以下追記・
そして磯崎案は廃止に…(2023年10月13日の発表)
イタリア文化財高等議会により磯崎新の出口のデザインは廃止、と満場一致、2023年10月13日午後に発表されました。
2022年に91歳で他界された磯崎新、彼のデザインは1998年のコンクールで選ばれ、2003年を完成期限とされていました。2020年には12,000,000ユーロが予算として組まれていました。
今後については、予算の他(国は完成をさせなかったとしてペナルティを支払う必要もあります)出口がまだ工事中の様子を呈しているなどの問題もあり、
方向性について今回のネガティブな結論を導いたヴィットーリオ・ズガルビが語った内容によると、”想像しうる限りの多様な植物の庭園の建築”と示されました。
何にせよ新たなコンクール、それにかかる必要な時が流れるのは必須で、出口の工事用クレーンをしばらくは眺めることになりそうです。
(Finestre sull’Arte記事より抜粋要約)