ツノの生えた聖母子像 – ミラノ

ミラノ ツノの聖母子

ミラノでデューラーの展示会があって、見逃してはならぬ!と気合をいれていたのですが、なんというか、本来の目的がおまけみたいになってしまいました。
何がメインになってしまったかというと、

ツノの生えた聖母子。

それが、このトップにある画像です。
なんとも魅力的(!?)ではありませんか!
物好き、変なもの好き、マニアックな人にはたまらない魅力です。
それで、この絵を見るためにミラノへ行こう!!と思う人もまれですが…

このツノの生えた聖母子像をネット検索中にふと見つけたのは、S.Pietro Martire殉教者聖ピエトロの亡骸を探していた時です。フィレンツェにとても深く結びついている聖人です。

 

異端 – カタリ派

キリスト教はキリスト教でも、考えの違いなどで異端とされる動きがちょこちょこ出てくるもので、13世紀にもそんな動きがありました。

カタリ派と呼ばれた人たちが出現してから大きくなっていったのも、その時代。
普通に考えればかなり清い考えの人たちだったようですが、ローマ法王の勢力のバランスを保つだとか、諸侯の力関係だとか、政敵にカタリ派が多いとか、あんまり宗教的ではない理由で弾圧されてしまったようです。

例えば、フランチェスコ(フランシスコ)会も、下手をすれば異端になっておかしくない時代でしたが、時代の要請もあり、うまいことカトリックに組み込まれました。
あと、ドメニコ(ドミニコ)会もフランチェスコ会と同じ托鉢修道会ですが、神学者などインテリ系の人が多いです。フィレンツエで最初に異端審問の裁判官をしたのもこの人たち。(後にその役割はフランチェスコ会へ受け渡されます)

そんな時代に登場するのが、ツノ付き聖母子像に繋がってくる、殉教者聖ピエトロ。ヴェローナ出身ですので”San Pietro da Veronaヴェローナの聖ピエトロ”なんても呼ばれます。レオナルド・ダ・ヴィンチがヴィンチ出身なのとおんなじ感じで。
彼は、後に聖列された聖人、生前はドメニコ会の聖職者だったんですけれども、結構アグレッシブ!!現在の宗教のイメージとは全く違って、相当なやり口。

ま、そんな事を言い出したら、十字軍に参加してイスラムの民間人も殺戮した軍人が聖職者で騎士だったんなて話もなかなかですけど。

 

修道士ピエトロ

で、彼はフィレンツェにかなり普及していたカタリ派を駆逐する使命を負って、法王に送り込まれてきます。
今でもサンタ・フェリチタ広場にある柱や、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会近くのトレッビオの柱、あそこなんても戦いがあった場所を指しています。
ピエトロは、フィレンツェでミゼリコルディアという今でも続く慈善団体の創設者である(文献によると、おそらくきっかけを与えた創始者)ことも、忘れてはならない側面です。
戦いの事だけを取り上げると、現在の感覚では危険人物みたいに見られてしまいそうなので、フォローしときます…。

その後、コモからミラノへの旅の途中刺客に襲われて、頭をナタでやられてしまい、殉教します。

聖ピエトロ・ダ・ヴェローナ


頭から出た自分の血液で、地面にCREDO(私は信じる)と書いています。
絵画でCREDOって血で書いてたり、頭にナタが刺さってる聖人像は、必ずこの方です。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cc/Cima_da_conegliano%2C_san_pietro_martire_e_santi_01.jpg

 

殉教者聖ピエトロのお墓

そんな訳で、殺されてしまったピエトロ、最初はミラノの聖エウストルジョ教会の墓地に埋葬されましたが、福者に認定された時に、頭だけぶった切って(!!)別に埋葬。
頭は同じ教会内、今のポルティナーリ礼拝堂の入り口あたりにあるとされていて、体は教会内左身廊に。
その後体の方もポルティナーリ礼拝堂に移動した後、少々マイナー移動もありましたが、現在は真ん中に。

 

ポルティナーリ礼拝堂

 

ゴシックな棺ですね。
ジョヴァンニ・ピサーノ、ティーノ・ディ・カマイーノの元で修行したジョヴァンニ・ディ・バルドゥッチョの作品。

 

ポルティナーリ礼拝堂という名前なんですが、ポルティナーリさんちの礼拝堂だからです。
ポルティナーリ家で有名なのは、フォルコ・ポルティナーリ。今でもフィレンツェにある病院、サンタ・マリア・ヌオーヴァの創立者で、娘はダンテの永遠のミューズ、ベアトリーチェ・ポルティナーリ。

 

この礼拝堂にあるのがツノの生えた聖母子像です。

 

ツノ 聖母子像 ポルティナーリ礼拝堂

なんで、聖母子像にツノが生えているのか。

前置きが長くなったのは、その理由をひじょーに回りくどく(!)説明するためでした。
カタリ派の人たちは聖母子が目の前に現れるという奇跡の宗教儀式で信者を集めていました。そこへ調査のためにピエトロが参加。儀式ではやはり聖母子が現れるという奇跡があったけれども、ピエトロの強い信仰心により、その聖母子の頭に悪魔のツノが生えているのを見破ります。そこで、聖なるパン(聖体)を使って悪魔を追い出すことに成功しました!
というシーンが描かれているわけです。
異端と戦うピエトロが左下に描かれています。

ツノの生えたマリア様は礼拝堂の右壁に描かれていますが、奥の壁側の受胎告知のシーンではツノは生えていません。こっちは本物のマリア様!

 

マリア様 受胎告知

 

目が光って見えるのは、、、光源の具合のせいでしょう。

 

それにしても、この天井!

ポルティナーリ礼拝堂 ミラノ

 

すごーく美しかったです。天を表しているそうです。

 

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最近なんだか忙しく、あまりブログ更新ができていません。
個人的な趣味で旅先で見たものの事を書くのが好きなんですけれども。
時間があったらブログは書かず小旅行をしてしまったりするので、書く方が全く追いつきません。
なので、今回は思いつきました。
旅行中に書こう。
只今フォルリ行きの電車の中。ミラノなんかよりもずっとフィレンツェから近いのに、交通の便が悪い。
特急でも乗り継ぎがあり時間もかかるので、潔く片道3時間近くの鈍行列車。
そんな訳で、往復約6時間の素敵な暇タイム。これを生かさない手はない。
いやー、ムジェッロを通る電車はのどかです。
一面みどりみどりみどりみどりみどりみどりみどりみどりみどり、たまにオリーブの木。

ちなみにフォルリは、殉教者聖ピエトロを殺した後に後悔して聖職者になった福者Carino Pietro da Balsamoゆかりの地です。

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