さ、今回のブログは、
前回の続きで書いています。 →前回 ツノの生えた聖母子 – ミラノ
すなわち、フォルリからの帰りの電車。
帰りの道すがら、乗り換え駅のファエンツァで軽く観光でもしようかと思っていましたが、厚さ4cmほどのぎっしり重たいカタログを買ってしまい、30分以上の徒歩はむりむりむりむり。
ですので無為に駅のベンチで約50分間フィレンツェ行きの電車を待ってから、只今ようやく電車の中。
重い荷物は苦手です。
そんなこんなで、
ヴェネツィアで気になったもの!
(ちょっと前のヴェネツィア記事がまだ続いています。→ヴェネツィア)
いっぱい素敵なところがある中から、端折って、個人的に深く記憶に残ったところのみをフォーカスします。
ヴェッロッキオ コッレオーニ騎馬像
Statua equestre a Bartolomeo Colleoni – Andrea del Verrocchio (Campo S.Zanipolo)
相当有名なのに後回しにしすぎて今回初めて実物を拝見しました。
はい、この角度あたり↑の写真が有名な気がします。
ところがですね、文句があるんです。
この写真をご覧ください。↓
最初の写真を撮るためには、この右手にある邪魔くさいパラソルの中に分け入ってゆく必要があるんです!
邪魔だーーーーーー!!!
ヴェネツィア市から許可をもらっている場所なんでしょうけど、もうちょっと、どうにかならなかったのか。
でないと、私みたいな営業妨害の人が入ってきちゃう。
はい、では次。
ヴェネツィアのドゥカーレ宮殿 でっかい部屋!
Sala del Maggior Consiglio – Palazzo Ducale
いいですねー、これ、本当に実物を自分の目で観れてよかった。
図版だと、個人的にはむしろ、趣味悪いな、とも思えてしまうごった煮感満載。(大好きなんですけれども)
大きな部屋なだけに、座って遠くから眺め、感慨に浸る事ができます。
感慨がキャパシティーを超えてしまうほどに。
ここで、頭がオーバーヒートして、そのまま居眠り。
・・・・・・・・・・・・(幸せな休息)・・・・・・・・・・・・・
はい!居眠りして体力も頭の中も復活。
順路を元気よく進み、牢屋に到着。
牢屋
Palazzo delle Prigioni Nuove
単純に、本当に楽しかったです。
閉じ込められたらどうすればいいんだか、カサノーヴァはどんな気持ちだったのでしょう。
なんて、そんな妄想も含めて面白い。
各房には、きっちりと、鉄格子がはめ込まれています。
食事について出てくる味噌汁を毎日ふきかけて、塩分で鉄格子を錆びさせて、、→白鳥由栄wikipedia、なんてやっても、鉄格子が全部編み込みすぎて、何年やっても無理ですね。抜けません。
イタリアだと味噌汁も望み薄だし。
鉄格子を見ながら、ふと思い出しました。
自宅が地上階なもので、窓に防犯の鉄格子をつけなくちゃならないね、とこの数日前に話していた時、
「単純な縦横だけのデザインだと”牢獄エフェクト“になっちゃうよね。」
と、笑っていましたが、、
これぞ、本物の牢獄エフェクト!
外の世界が遠い、。
最後は、
ロココな楽しいひとたち!!
Ca’ Rezzonico – Giandomenico Tiepolo
カ・レッゾーニコにあるフレスコ画。
ジャンドメニコ・ティエーポロ作。
父のジャンバッティスタ・ティエーポロの方が有名ですが、ヴィチェンツァのヴァルマラーナ・アイ・ナーニ邸に訪れた時に父子の両方の壁画がありまして、どちらかというと息子のジャンドメニコ・ティエーポロの方が気になっていました。 過去記事→ トレッキングシューズで観光 : ヴィチェンツァ – 1
ヴェネツィアのカ・レッゾーニコにある壁画は、オリジナルの場所ではなくて、ズィアニーゴにあるティエーポロが住んでいた邸宅からひっぺがして移動して展示してあります。1907年での所有者が外国に売るために剥がしたものを、ヴェネツィア市が買い取ったものです。なるべくオリジナルの内装に近づくように、小さめの部屋に区切って展示されています。
上の作品はこれらの中でも大きめ。タイトルはNuovo mondo-新しい世界
登場人物、誰一人としてこっちを向いていない!
真ん中あたりの黒髪の少年は顔が見えるけれども、視線はこっちじゃないしね。
一番左にいる、白い人*がポイントです。
次に行きましょう。
白い人*たちがいっぱいいるー!
これは天井の絵ですが、壁四面ともこの人たちでいっぱいの、不思議な部屋。え?この人たちに、別になんとも魅力を感じないって?
ロココは見た目の優雅さのホワホワのキラキラだけじゃないところが魅力。
ロココの代表作のこの絵の意味とか、なんでブランコの下に人がいる?
ブランコの下の人が、ドレスの中を含む景色をを楽しんでいるのにふと気づくあたりが、二重の楽しみ。
ジャンドメニコの白い人はスカートを履いてないし、見たくもありませんが、その辺もアイロニーがあって面白いかと思います。
ちなみに、ジャンドメニコが自宅の壁画を完成させたのは1797年。ヴェネツィア共和国の終焉と同じ年です。
*白い人、と勝手に呼びましたが、プルチネッラPulcinellaという滑稽で民衆的な道化師です。