ちょっと前の事です。気になっていたけれども、あまり関係はないような気がしてそのままだった、ウフィツィ美術館の胸像について、ふと検索してみました。
検索ワード、「パジャント」
そう、美術系の教育を日本で受けた人なら必ず知っている、あの、お蝶夫人ばりの巻き毛の彼女。かわいい髪型なんだけれども、巻き毛のまとめ方はみたらし団子か、俵型コロッケか、はたまた何かの肉巻きであろうか、と食事時に近い受験生を悩ます彼女。
ウフィツィ美術館にあるのは、上の写真のものですが、ちょっとあの石膏像パジャントとは違います。ローマ時代にオリジナルのギリシャ彫刻が大量にコピーされたので、そのコピーのひとつかな、と思っていました。
でも、やっぱりオリジナル作品を知りたいものです。フィレンツェには石膏像のオリジナルの彫刻作品がわんさかとあるのですから、きっとパジャントもどこかにオリジナルが存在するのではないか、と思ったのです。
一番最初に出てきた検索結果の記事を読んで、
→ きょうの石膏像 K-107 パジャント胸像(ベレニケ)
20年来の謎が解けました!ルーブルに彼女、パジャントはいる!!
確か、5年くらい前にも検索したのですが、その時ははっきりとした由来が分からずじまいだったのを覚えています。それもそのはず、研究論文が出たのが2013年だったのですね。*リンクしてある記事に詳しく説明があります。
ルーブル美術館のオリジナルはあの見慣れた石膏像とは胸部の形が違います。唐突なところで切られるのは石膏像の性格ですので、それがますます謎を呼ぶ事になりまして、
例えば、このヴィーナス、
この子、首も両腕も両足ももぎ取られていて、全く関係ないと思ってましたが、ウフィツィ美術館の彼女でした!
メディチのヴィーナスは石膏像だった!
トリブーナという特別な部屋の真ん中奥に鎮座するのが、上のトルソです。
メディチのヴィーナスと呼ばれる、メディチ家のコレクションの中でも誉れの高い彫刻で、ボッティチェッリなんて全く知られていなかった1900年代より前はこっちの方がよっぽど有名だったこの方、今では、「ふーん。」で終わる事が多いで寂しかったのですが、石膏像として日本で活躍してるとは、あっぱれ。
これだけでは終わらず、なんと、メディチのヴィーナスは切り取られた足の再活用(?)までされています!
メディチのヴィーナス、日本で大活躍中!
きょうの石膏 T-503 女子トルソー(大・メジチのヴィーナス部分)
そして、ここまできて言うのもなんですが、ウッフィツィのパジャント(ベレニケ)の頭部と、私が気になっていた胸像とは違ったかもしれません。
こちら、きょうの石膏さんがご紹介されていた頭部。
対して、こちらが気になっていたウフィツィ第一廊下の胸像。
どうでしょう?
1700,1800年代に古代彫刻の欠落部分を埋めるという事が、その当時の有名な彫刻家、例えばカッラドーリなどによって行われました。カッラドーリは、上述のメディチのヴィーナスの両腕を付け加えた人でもあります。現在ではこのような修復方法は避けられますが、当時は彫刻を完璧にするという目的で、膨大な数の彫刻に手が加えられました。
一時期はそれらの加えられた部分を取り外していこうという動きがありましたが、現在では付け加えられた部分も含めて保存されています。歴史の証人でもあります。
なので、取り外された胸部が再びくっついて、顔のシミは修復で抜かれた??(このシミは抜けるんでしょうか?石彫専攻だったので、大理石に入ったシミはなかなか抜けないという認識です。修復の技術によって可能ならすばらしい!ご存知の方がいらっしゃったら教えていただきたいです。)とも考えられないでもないですが、。
またウフィツィで頭部だけのパジャントが見つかったら、それが結論ですね。今度改めて探してみます。
最後の最後に。
今まで「ウッフィーツィ美術館」と表記していたのを、「ウフィツィ美術館」と改めました。
google検索で、一度として「ウッフィーツィ」という言葉が使われたことがない、と言うことが知り、ま、そうだよね、「アッカデーミア美術館」なんて、誰が言う?「アカデミア」だよなぁ。と、長いものには巻かれることにしました。
ぐるぐるぐるぐるー
巻かれました。
・追記・
この本にパジャントの項があって、解決しました!非常に興味深いおすすめの本です。
→Blog 「石膏デッサンの100年 」 が、届いた!