もくじ
- 1 サンタ・クローチェ教会のなりたち
- 2 サンタ・クローチェ教会内部
- 2.1 サンタ・クローチェ教会 内部
- 2.2 サンタ・クローチェ教会 主祭壇
- 2.3 カルロ・マルスッピーニの墓 -デジデーリオ・ダ・セッティニャーノ
- 2.4 ミケランジェロの墓 -ジョルジョ・ヴァザーリ 他
- 2.5 授乳の聖母 -アントニオ・ロッセッリーノ
- 2.6 詩の自由 -ピオ・フェーディ
- 2.7 磔刑像 -ドナテッロ
- 2.8 パッツィ家礼拝堂
- 2.9 パッツィ家礼拝堂 内部
- 2.10 トゥールーズの聖ルドヴィーコ -ドナテッロ
- 2.11 カヴァルカンティの受胎告知 -ドナテッロ
- 2.12 磔刑図 -チマブーエ
- 2.13 ダンテの記念碑 -ステファノ・リッチ
- 2.14 ガリレオの墓
- 2.15 サンタ・クローチェ教会に埋葬された著名人
- 2.16 -レザースクール
- 3 サンタ・クローチェ教会 インフォメーション
- 4 サンタ・クローチェ教会 関連記事
サンタ・クローチェ教会のなりたち
フィレンツェにある最も大きな教会のひとつ、サンタ・クローチェ教会。
イタリアの街には大聖堂の他に、二つの会派の大きな教会がよくあります。こちらはその一つ、フランシスコ会のサンタ・クローチェ教会です。
アッシジの聖フランチェスコが1211年フィレンツェに訪れた後、その追随者たちがアルノ川の中洲だったこの地に小さな祈祷所を設けたのが始まりです。(低地なので後に洪水の被害に何度も遭います。)
1294年になって、建築家アルノルフォ・ディ・カンビオの設計で現在のゴシック様式の教会が建てられました。
ちなみに、もう一つの大きい教会はドメニコ会サンタ・マリア・ノヴェッラ教会。共に托鉢修道会です。サンタ・マリア・ノヴェッラは駅の近くなので日本人もかなり訪れますが、こちらのサンタ・クローチェはヴェッキオ宮殿/ウフィツィ美術館から徒歩10分、この10分のせい なのか訪問者が減る場所です。
サンタ・クローチェ教会内部
サンタ・クローチェ教会 内部
イタリアのゴシック様式。フランスやドイツのゴシックとは違い、上へ上へと上昇するような高さの追求はありません。屋根は木製で清貧をモットーとするフランチェスコ会らしい建築です。奥に見えているのは主祭壇、アーニョロ・ガッディの壁画で飾られています。
サンタ・クローチェ教会 主祭壇
主祭壇の周りの壁は、アーニョロ・ガッディによる”聖十字架の発見の物語-le Storie della Vera Croce”。この教会の名前もサンタ(聖)クローチェ(十字架)教会です。
カルロ・マルスッピーニの墓 -デジデーリオ・ダ・セッティニャーノ
夭折の天才デジデーリオの代表作の一つ。人文学者でフィレンツェ共和国の書記官であったカルロ・マルスッピーニの墓で、上部の丸いアーチや棺に上に横たわった彫刻などルネサンスらしいスタイルです。
ミケランジェロの墓 -ジョルジョ・ヴァザーリ 他
ミケランジェロ本人の意思には反する場所と形ですが、ともあれ本人の教区教会にあるお墓。3人の女性はそれぞれ左から絵画、彫刻、建築を表しています。
授乳の聖母 -アントニオ・ロッセッリーノ
1478年のパッツィ家の陰謀の時、殺されそうになったメディチの偉大なるロレンツォを身をもって守り命を落としたフランチェスコ・ノーリの墓です。ルネサンスの彫刻家アントニオ・ロッセッリーノの繊細で緻密な表現が見られます。ミケランジェロの霊廟近くの柱にあります。
詩の自由 -ピオ・フェーディ
劇作家ジョヴァン・バッティスタ・ニッコリーニの墓。フランス人彫刻家オーギュスト・バルトルディは、フィレンツェに訪れた際に見たこの彫刻に影響を受けて”自由の女神“を製作したと考えられています。
磔刑像 -ドナテッロ
教会の左翼廊奥にあります。信者が祈りを捧げる場にある為、一般見学者は少し離れた所から鑑賞する事になります。サンタ・マリア・ノヴェッラ教会にあるブルネッレスキ作磔刑像はこの作品を見た後に製作されました。両方を見比べるとそれぞれのスタイルが際立ちます。
パッツィ家礼拝堂
出口のある側から見た、第一の中庭。奥に見えるのがパッツィ家礼拝堂。バッチョ・バンディネッリがフィレンツェ大聖堂の為に制作した作品や、ヘンリー・ムーアの作品も現在この庭に展示されています。
パッツィ家礼拝堂 内部
洗練された理性的なデザイン、フィリッポ・ブルネッレスキの設計です。クーポラ(英語でドーム)のすぐ下の4つの円の中もブルネッレスキの手によるもので、4人の福音記者が表されています。釉薬を使って色付けしたテラコッタで、ジョヴァンニ・デッラ・ロッビアらが多くの色を使って制作するよりもかなり前に多色使いをしたという珍しい作品。
トゥールーズの聖ルドヴィーコ -ドナテッロ
フランチェスコ会の聖人の一人、聖ルドヴィーコはもともとナポリのアンジュー家の王子です。このドナテッロ作のブロンズ彫刻は教会の旧食堂に展示されていますが、以前はファサードに飾られていました。
カヴァルカンティの受胎告知 -ドナテッロ
フィレンツェで採れるセレーナ石に金箔を施した、新しい素材に果敢に挑戦するドナテッロらしい作品です。もともとは教会の内部を仕切っていたトラメッゾ(イコノスタシス)に設置されていましたが、仕切りを取り払った反宗教革命の時代に、作品保存の為に右身廊に移動されました。
磔刑図 -チマブーエ
1200年代の画家チマブーエの代表作、磔刑図。1966年のフィレンツェ 大洪水の際に大きなダメージを受け、修復されたもののオリジナルの姿には戻らず、悲惨な大洪水の記憶を留めるシンボル的存在です。
ダンテの記念碑 -ステファノ・リッチ
神曲の著者、ダンテ・アリギエーリはフィレンツェの政治家でした。政敵に敗れフィレンツェ追放のまま1321年に没したのでラヴェンナに墓があります。フィレンツェにあるこの作品は霊廟のように見える記念碑。19世紀終わり、イタリア王国としての統一、統一言語イタリア語を代表する人物としてダンテが再び大きく取り上げられた時代の作品です。
ガリレオの墓
1642年フィレンツェのアルチェトリにてガリレオは78歳で亡くなります。当時ガリレオは破門された状態だったので表立って墓を建てることができず、鐘楼の下にひっそりと弔われました。その後、家庭教師をしたり資金援助を含む庇護をしてもらうなど縁のあったメディチ家の最後の大公、ジャン・ガストーネはヴァティカンの意向に反してでもガリレオの偉業を讃えるこのモニュメンタルな墓を聖堂内左身廊に造らせたのが1736年、現在も見られるこの霊廟です。
教会内には、ジョットやジョット派の作品群、ドナッテッロの磔刑像、ルネサンス建築を代表するパッツィ家礼拝堂、自由の女神のモデルとなった彫刻など、そのほか沢山の美術品を鑑賞する事ができます。
現在のファサードは建物自体と比べると割と新しく、1800年代半ば二コラ・マタスが設計したネオゴシック様式です。(ニコラ・マタス/ニッコロ・マータス、の墓はファサードの前にあります。ユダヤ人だったから中に入れられなかったという訳でもなくきちんと聖域内にあります。ファサードデザインはユダヤよりもフリーメーソンとも)
サンタ・クローチェ教会に埋葬された著名人
“イタリアの栄光の神殿“の別名を持つ多くの著名人の眠る場所です。この場所に埋葬されている主な人物はこちら。
- ミケランジェロ・ブオナッローティ
- ガリレオ・ガリレイ
- ウーゴ・フォスコロ
- ジョアッキーノ・ロッシーニ
- ニッコロ・マキアヴェッリ
- ロレンツォ・ギベルティ
- ヴィットーリオ・アルフィエーリ
- カルロッタ・ボナパルテ
- ジーノ・カッポーニ
- ロ・スケッジャ
-レザースクール
教会の北側の道Via S.Giuseppeを少し行くと、レザースクールの入り口が見つかります。世界中からフィレンツェの革製品製作技術を学ぼうと多く学生がやってきます。
教会内からも出入り可能。
工房見学や、彼らの作った革製品も購入できます。→工房めぐり◆2時間ガイドツアー
サンタ・クローチェ教会 インフォメーション
-所在地
Piazza di Santa Croce, 16 Firenze
-公開時間
月〜土曜日 9:30-17:30
日、祝祭日 12:30-17:45 (1月6日、8月15日、11月1日、12月8日)
-休館日
1月1日、6月13日、10月4日、12月25日、12月26日、復活祭
-所要時間
1〜2時間