現在のフィレンツェ大聖堂、
1296年に建築が開始され、現在に至るまで色々と変遷がありました。
その途中の16世紀の姿は、今は見ることができないものとなっていますが、
一部の作品や資料が残っています。
それが、今回のテーマ、バッチョ・バンディネッリの設計、制作の内陣席です。
現在、その内陣席を飾っていた作品は色々な場所分散されてしまっているので、おそらくよっぽどバンディネッリ好きな人ではないと、探したり、注目したりはされてないのではないかと思います。
そんな訳で、普段ガイドとして説明を一切することのないバッチョ・バンディネッリが手がけた
フィレンツェ大聖堂の内陣席と、そこにあった作品の現在の行方をここに記します。
もくじ

バッチョ・バンディネッリ、誰それ? Baccio Bandinelli
1488年生まれ、1560年没、主にフィレンツェで活躍したマニエリスム期を代表する芸術家。
マニエリスムはルネサンスの後の時期。
バンディネッリ作品で街中で目立つものとしては、ヴェッキオ宮殿正面入り口前にあるミケランジェロ作ダヴィデ像の隣に、こちらがあります。(下写真、矢印の先)

バンディネッリは、1475年生まれのミケランジェロの少し後の世代ですので、彼から非常に大きな影響を受けています。
通常の観光コースとしては、ミケランジェロのダヴィデ(オリジナルはアカデミア美術館)を観て、
バンディネッリ作品は無視。
では、まず大枠として、大聖堂内がどんな様子だったかを見ていきましょう。
バッチョ・バンディネッリ以前の内陣席 – ブルネッレスキ
色々と細かい変更や置き換えなどがあるものの、
バンディネッリ設計の前は、大聖堂の内陣席はこんな感じでした。↓

クーポラを設計した事で知られるフィリッポ・ブルネッレスキの設計で、ルネサンスらしいすっきりしたデザイン。。
シンプルな8角形に枠のような構造体があり、中には大きな書見台が置かれているというものです。
バッチョ・バンディネッリの内陣席 Coro Bandinelliano
では、バンディネッリの設計になると、どう変化したのかというのが、こちら。

バンディネッリ設計の内陣席を再現した模型です。
大聖堂美術館内にあります。
先ほどのブルネッレスキのものに比べると装飾が豊かになっているのが分かります。
写真に丸印で番号を付けましたので、以下、その順番で話を進めます。
① アダムとイブ Adamo ed Eva

先程の模型の裏側です。
なんか2人いますよね。
アダムとイブです。
アダムとイブの現在の様子がこちら。↓

ちゃんと現存しておりまして、バルジェッロ美術館の地上階展示室にあります。
1722年、大聖堂内にはヌード姿は相応しくない、として撤去されました。
細部を見ると不思議な形態をしています。

引き延ばされた自然ではない姿を優美だとした、この時代ならではの表現。
①-a アダムとイブのはずが、バッカスとケレスに
アダムとイブですが、それ以前の1547年に制作を開始1548年に完成、というもう一組の作品がありました。
完成後に形状として「腰があまりにも細い」という理由で、
アダムは『バッカス』に、イブは『ケレス』、としてそれぞれ太公コジモ一世、妻のエレオノーラに献上され(ケレスはそれ以前に制作されていたアポロンと共にエレオノーラへ)
その後にボーボリ庭園内、ブオンタレンティのグロッタのファサードの一部となりました。


①-b アダムとイブの後釜、ミケランジェロのピエタ Pietà Bandini

先述しましたように、アダムとイブのヌードがよろしくない、と撤去された後、その穴を埋めるように設置されたのがこちら、ミケランジェロ作のバンディーニのピエタです。
バンディーニのピエタは1547-1555年頃の作品なので、かなり後の時代に移動してきた形です。
大聖堂内でのミサなどで煤や蝋燭が垂れたりして汚れていたのが最近の修復で綺麗になりました。
なので、上の写真よりも今は白いです。

② 死せるキリスト Cristo morto

バンディネッリの内陣席模型をよく観察すると、横たわっているキリストが見えます。
模型の2番で、『死せるキリスト』
死せるキリストは、現在あまり観る機会がない場所にあります。
それが、こちら。↓

サンタ・クローチェ教会内の、普段見学コースとなっていないクリプタ部分にあります。
サンタクローチェ教会のくりぷたは、20世紀、ファシズムの時代に戦没者の為に改装された場所です。
ですので、特別展などで入れることがたまーにある程度のマイナーな箇所となっています。

③ 父なる神 Dio Padre
内陣席の3番にあったのは、『父なる神』。
その現在の場所は、こちら、またまたサンタ・クローチェ教会内。

先ほどの『死せるキリスト』とは違い、『父なる神』は一般見学コース内にあります。
1843年より出口近くの中庭に何気なく置かれており、現在は修復が終わったので上の写真よりも綺麗な姿が見られます。
ただ、この作品については似たものががあります。
それが、次のユピテル。
③-a ユピテル Giove

ボーボリ庭園内、マダマのグロッタ手前にあります。
近づけませんので、なんとなく遠くから見える、いえ、むしろ遠くにあるのさえ気づかれない場所です。
こちらはバンディネッリが当初『父なる神』のテーマで制作を開始した作品ではありますが、
本人が出来栄えに納得できず、結局ボツになり未完のまま放置。
バンディネッリの死後フランチェスコ一世の時代に『ユピテル』として、現在のヴィッラ・デミドフ(プラトリーノのメディチ別荘)に置かれ、
更にはフェルディナンド三世の時代にボーボリ庭園にやってきたというものです。
③-b ユピテルの代わり
もういっこ、似た作品。
『ユピテル』の後釜。

一度はヴィッラ・デミドフに置かれていた『ユピテル』ですが、
ボーボリ庭園に作品が移動されてしまったので、デミドフさん(ロシア出身のお金持ちで当時のヴィッラ所有者)がちゃんと複製作品を置きました。
なので、この写真が現在の様子で、ユピテルポジションとなっています。
④ レリーフ Rilievi

大聖堂美術館内にある、”バンディネッリの内陣席の部屋”の壁に、レリーフが沢山展示されています。
収蔵作品数としては88枚あるそうですが、その一部が模型の周りに置かれています。


⑤ アーチ Arco
バンディネリ内陣席に使われていたアーチが、とっても地味に残っています。
同じく大聖堂美術館内、ドナテッロとルーカ・デッラ・ロッビアの聖歌壇がある部屋の仕切りみたいな所にあります。

誰か気づくんでしょうか。
そもそも、よくこんな大きいのを保存しようと思いましたよね、偉い。
構造体としては唯一の現存するものだそうです。

バッチョ・バンディネッリの自刻像 Autoritratto di Baccio Bandinelli

最後に、大聖堂美術館内のレリーフと模型がある部屋に展示されている本人、バッチョ・バンディネッリのレリーフをご紹介して終わります。
1556年の作品です。
下にはラテン語で、「バッチョ・バンディネッリ、フィレンツェ市民、1556年」と彫られています。
