サンタ・クローチェ教会 Basilica di Santa Croce

サンタ・クローチェ教会

フィレンツェにある最も大きな教会のひとつ、サンタ・クローチェ教会。

イタリアの街には大聖堂の他に、二つの会派の大きな教会がよくあります。こちらはその一つ、フランシスコ会のサンタ・クローチェ教会です。
もう一つはドメニコ会のサンタ・マリア・ノヴェッラ教会。共に托鉢修道会です。サンタ・マリア・ノヴェッラは駅の近くなので日本人もかなり訪れますが、こちらのサンタ・クローチェはヴェッキオ宮殿/ウフィツィ美術館から徒歩10分、この10分の為に訪問者が減ってしまう場所です...。

 

-なりたち

アッシジの聖フランチェスコが1211年フィレンツェに訪れた後、その追随者たちがアルノ川の中洲だったこの地に小さな祈祷所を設けたのが始まりです。(低地なので後に洪水の被害に何度も遭います。)
1294年になって、建築家アルノルフォ・ディ・カンビオの設計で現在のゴシック様式の教会が建てられました。
教会内には、ジョットやジョット派の作品群、ドナッテッロの磔刑像、ルネサンス建築を代表するパッツィ家礼拝堂、自由の女神のモデルとなった彫刻など、そのほか沢山の美術品を鑑賞する事ができます。
現在のファサードは建物自体と比べると割と新しく、1800年代半ば二コラ・マタスが設計したネオゴシック様式です。(ニコラ・マタス/ニッコロ・マータス、の墓はファサードの前にあります。ユダヤ人だったから中に入れられなかったという訳でもなくきちんと聖域内にあります。ファサードデザインはユダヤよりもフリーメーソンとも)
"イタリアの栄光の神殿"の別名を持つ多くの著名人の眠る場所で、ミケランジェロ、ガリレオ・ガリレイ、ウーゴ・フォスコロなどの墓があります。

 

-入場について

観光ハイシーズンにはチケット購入窓口に列ができます。少しの時間でも無駄にしたくない方は下記の公式ページからのオンライン予約(予約料1ユーロ)か、フィレンツェカードが便利です。
プライベートガイドツアーですと、ガイド(私)と一緒なので予約なしでも優先的にチケット窓口へ行けます。

 

-レザースクール

教会の北側の道Via S.Giuseppeを少し行くと、レザースクールの入り口が見つかります。世界中からフィレンツェの革製品製作技術を学ぼうと多く学生がやってきます。工房見学や、彼らの作った革製品も購入可能。→工房めぐり◆2時間ガイドツアー

 

サンタ・クローチェ教会 内部

サンタ・クローチェ教会 内部

イタリアのゴシック様式。フランスやドイツのゴシックとは違い、上へ上へと上昇するような高さの追求はありません。屋根は木製で清貧をモットーとするフランチェスコ会らしい建築です。奥に見えているのは主祭壇、アーニョロ・ガッディの壁画で飾られています。

サンタ・クローチェ教会 主祭壇

サンタ・クローチェ教会 主祭壇

主祭壇の周りの壁は、アーニョロ・ガッディによる"聖十字架の発見の物語-le Storie della Vera Croce"。この教会の名前もサンタ(聖)クローチェ(十字架)教会です。

サンタ・クローチェ教会 床に並ぶ墓標

教会内 床の墓標

主祭壇に近い方が神の救済に近いと考えられ、有力な貴族は教会により多くの財産を寄付し、祭壇や墓を主祭壇近くに持ちました。凝った装飾も沢山あります。

カルロ・マルスッピーニの墓 デジデーリオ・ダ・セッティニャーノ

カルロ・マルスッピーニの墓 -デジデーリオ・ダ・セッティニャーノ

夭折の天才デジデーリオの代表作の一つ。人文学者でフィレンツェ共和国の書記官であったカルロ・マルスッピーニの墓で、上部の丸いアーチや棺に上に横たわった彫刻などルネサンスらしいスタイルです。

ピオ・フェーディ 詩の自由

詩の自由 -ピオ・フェーディ

劇作家ジョヴァン・バッティスタ・ニッコリーニの墓。フランス人彫刻家オーギュスト・バルトルディは、フィレンツェに訪れた際に見たこの彫刻に影響を受けて"自由の女神"を製作したと考えられています。

磔刑図 チマブーエ

磔刑図 -チマブーエ

1200年代の画家チマブーエの代表作、磔刑図。1966年のフィレンツェ 大洪水の際に大きなダメージを受け、修復されたもののオリジナルの姿には戻らず、悲惨な大洪水の記憶を留めるシンボル的存在です。

磔刑像 ドナテッロ

磔刑像 -ドナテッロ

教会の左翼廊奥にあります。信者が祈りを捧げる場にある為、一般見学者は少し離れた所から鑑賞する事になります。サンタ・マリア・ノヴェッラ教会にあるブルネッレスキ作磔刑像はこの作品を見た後に製作されました。両方を見比べるとそれぞれのスタイルが際立ちます。

サンタ・クローチェ教会 パッツィ礼拝堂

パッツィ家礼拝堂

出口のある側から見た、第一の中庭。奥に見えるのがパッツィ家礼拝堂。バッチョ・バンディネッリがフィレンツェ大聖堂の為に制作した作品や、ヘンリー・ムーアの作品も現在この庭に展示されています。

パッツィ家礼拝堂

パッツィ家礼拝堂 内部

洗練された理性的なデザイン、フィリッポ・ブルネッレスキの設計です。クーポラ(英語でドーム)のすぐ下の4つの円の中もブルネッレスキの手によるもので、4人の福音記者が表されています。釉薬を使って色付けしたテラコッタで、ジョヴァンニ・デッラ・ロッビアらが多くの色を使って制作するよりもかなり前に多色使いをしたという珍しい作品。

トローザの聖ルドヴィーコ ドナテッロ

トゥールーズの聖ルドヴィーコ -ドナテッロ

フランチェスコ会の聖人の一人、聖ルドヴィーコはもともとナポリのアンジュー家の王子です。このドナテッロ作のブロンズ彫刻は教会の旧食堂に展示されていますが、以前はファサードに飾られていました。

ドナテッロ カヴァルカンティの受胎告知

カヴァルカンティの受胎告知 -ドナテッロ

フィレンツェで採れるセレーナ石に金箔を施した、新しい素材に果敢に挑戦するドナテッロらしい作品です。もともとは教会の内部を仕切っていたトラメッゾ(イコノスタシス)に設置されていましたが、仕切りを取り払った反宗教革命の時代に、作品保存の為に右身廊に移動されました。

キリスト辺獄への降下 -ブロンズィーノ

反宗教革命の時に大聖堂内部から排除され、現在はメディチ礼拝堂内部に展示されています。

サンタ・クローチェ教会 旧食堂 オルカーニャ

死の勝利 最後の審判 -アンドレア・オルカーニャ

もともと教会内部、右身廊の壁に描かれいたこちらの作品断片は、旧食堂ホールの壁に展示されています。

フランチェスコ・ノーリの墓 アントニオ・ロッセッリーノ

授乳の聖母 -アントニオ・ロッセッリーノ

1478年のパッツィ家の陰謀の時、殺されそうになったメディチの偉大なるロレンツォを身をもって守り命を落としたフランチェスコ・ノーリの墓です。ルネサンスの彫刻家アントニオ・ロッセッリーノの繊細で緻密な表現が見られます。ミケランジェロの霊廟近くの柱にあります。

ダンテ 記念碑 ステファノ・リッチ

ダンテの記念碑 -ステファノ・リッチ

神曲の著者、ダンテ・アリギエーリはフィレンツェの政治家でした。政敵に敗れフィレンツェ追放のまま1321年に没したのでラヴェンナに墓があります。イタリア統一後は"イタリア語"を代表する人物としてダンテが再び大きく取り上げられた、その時代の記念碑です。フィレンツェ市はダンテの遺骨返還をラヴェンナ市に要請し続けていますが、没後700年を記念して2021年にそれが実現すると発表されています。

サンタ・クローチェ教会 内部 翼廊

オドアルド・ファンタッキオッティ

天使の背越しに見る教会内部。教会内部にはこのような1800年代の作品も多く見られます。

サンタ・クローチェ教会 ヴァザーリ 最後の晩餐

最後の晩餐 -ジョルジョ・ヴァザーリ

1966年にあった大洪水でダメージを受けていたのですが、2017年になってようやく修復が終わり展示されています。

サンタ・クローチェ教会 中庭

第二の中庭

街の中心なのに、ここには静寂があります。フィリッポ・ブルネッレスキが設計したという説もあるルネサンス様式の回廊が庭を囲みます。

サンタ・クローチェ教会 墓標 ボタンがパレット形

イーダ・ボッティ・シフォーニの墓

19世紀の女性画家イーダ・ボッティ・シフォーニの霊廟。彼女の自画像を元に制作されたこの彫刻、よく見るとボタンが絵を描く時に使うパレットになっています。

サンタ・クローチェ 主祭壇裏 レザースクール

サンタ・クローチェ教会主祭壇裏 レザースクール

サンタ・クローチェ教会裏のレザースクールへ入っていくと、途中でこのように主祭壇を外側から見る事ができます。反対側は地元の幼稚園〜小学校〜中学校まであるので、昼休みに校庭で遊ぶ子供達の声が聞こえます。

サンタ・クローチェ教会 インフォメーション

所在地

Piazza di Santa Croce, 16 Firenze

教会一般公開時間

月〜土曜日 9:30-17:00
日、祝祭日 14:00-17:00 (1月6日、8月15日、11月1日、12月8日)

閉館日

1月1日、復活祭、6月13日、10月4日、12月25、26日
(宗教行事でこれ以外の日も閉まることがあります)

所要時間

1〜1.5時間

サンタ・クローチェ教会オフィシャルページ

-Santa Croce Firenze-