長々と淡々と冗長にアッシジ旅行について書いております。このページを開いていただいて感謝です。
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前回の ”アッシジ旅行、坂道大変だけどいいねー”。 で、最後にアッシジ一番の見所、聖フランチェスコ教会を省略してしまった次は、こちら。
割と近くのサン・ピエトロ教会。こちらも世界遺産。
10世紀から建てられ13世紀に現在の形になったそうです。
ファサードに開いた三つの薔薇窓はゴシックですが、扉の横のスティローフォロと呼ばれるこの動物。
ライオンか?
馬っぽいけど、この定位置だからライオンなんでしょう。耳がなくなっちゃていても、ロマネスクっぷりの伺えるこのフォルムは好きです。
内部のこの重厚な壁もロマネスク。暗さは重要だなと、感じます。
その後、本当はサンタ・キアーラ教会にも寄りたかったけれども、時間が押してたし、歩くのも疲れてきたし、前にも行ったし、、と消極的に、
サン・ダミアーノ教会へ直行。
が、意外と距離があって、また歩いてるのは私1人だけ。着いたら駐車場もあるし、車で来るべき?
こちらも世界遺産です。
写真撮影は禁止でしたが、なんとなく中庭ではみんな写真撮ってるし、撮りました。
小さな中庭を囲む建物は、こじんまりと天井も低く、通路も狭く、部屋も狭いどこも控え目。ここに、現在はサンタ・キアーラ教会に移動している聖ダミアーノ磔刑図があって、そこで聖フランチェスコが祈りを捧げていた時に「汝の壊れかけた家を直しなさい。」と声が聞こえたというエピソードがあります。
聖キアーラが生活をして亡くなったのもここで、部屋の一角にここで息を引き取ったという場所があります。
サン・ダミアーノ教会から更に下って、リヴォトルトという地区へ。
ここが、最後のメインの場所。
サンタ・マリーア・ディ・リヴォトルト教会、
サントゥアーリオ・ディ・リヴォトルトとも呼ばれる聖地です。
この外から見える教会の中には、
“あばら家”と呼ばれる建物があります。ここで聖フランチェスコとその追随者がその活動の初期に集まっていたそうです。
裏から見ると、こんな。
この旅の一番最初に見たポルツィウンコラも形が違いますがこういった具合で教会の中に聖地がありました。
ちょっと不思議な構造ですよね。
と、ここまで来て、サンダルで歩いていた足の皮が剥けまして、痛い痛い。あわよくば、そこにあるバス停から駅まではバスに乗って行こうと思ってましたが、この教会から出た瞬間にバスが通り過ぎてました。そして、次のは50分後。フィレンツェに帰る電車が25分後だったもので、これは、歩くしかない!競歩!
でも、歩くといい事あります。道の途中で、こんな小さな教会発見。
時間がなかったので、この教会の説明が書いてあった看板も読めずに通り過ぎました。
あとで気になって調べたら、サンタ・マリア・マッダレーナ教会と判明。
12世紀の建物だそうです。
なんと、ここで聖フランチェスコがハンセン病患者を抱きしめたという場所だったそうです。
そんなこんなで、必死にがんばって定刻に間に合ったと思ったら、電車の遅延30分。ま、そんなもんですよね。
今まで飛行機に乗り遅れた事が二回あるのですが、その時は飛行機の遅延を切に願いました。でもそういう時に限って定刻通り。ま、そんなもんですよね。