アッシジ旅行、最後まで頑張ったら足の皮剥けた。-3

アッシジ サン・ダミアーノ教会

長々と淡々と冗長にアッシジ旅行について書いております。

1, アッシジの街に徒歩で行き着くまで 『アッシジ旅行、聖地とレンガの道 -1
2, 聖フランチェスコ教会に行き着くまで 『アッシジ旅行、坂道が大変な徒歩 -2

 で、その次に行ったのがこちら、

サン・ピエトロ教会(アッシジ) Chiesa di San Pietro

アッシジ サン・ピエトロ教会

 サン・フランチェスコ教会から割と近くにあるサン・ピエトロ教会
こちらも世界遺産です。

10世紀から建てられ13世紀に現在の形になったそうです。
ファサードに開いた三つの薔薇窓はゴシックですが、扉の横のスティローフォロと呼ばれるこの動物。

 

アッシジ サン・ピエトロ スティローフォロ

 ライオンか?

馬っぽいけど、この定位置だからライオンなんでしょう。
耳がなくなっちゃていても、ロマネスクっぷりの伺えるこのフォルムは好きです。 

 

アッシジ サン・ピエトロ教会

 内部の重厚な壁もロマネスク。
ロマネスク建築においての暗さは重要だなと、感じます。

その後、本当はサンタ・キアーラ教会にも寄りたかったけれども、時間が押してたし、歩くのも疲れてきたし、前にも行ったし、、と若干消極的になってきていまして、次は、

 

サン・ダミアーノ教会 Chiesa di San Damiano

アッシジ サン・ダミアーノ教会

 いやー、疲れた。
結構距離ありました。
歩いているのはまたまた私1人だけ。さっきの観光客は何処へ?
駐車場も完備されているので、やっぱり車でくるべきところなのかも。

ともあれ、サン・ダミアーノ教会も世界遺産です。

写真撮影は禁止でしたが、なんとなく中庭ではみんな写真撮ってるし、撮ったのが上のもの。

小さな中庭を囲む建物は、こじんまりと天井も低く、通路も狭く、部屋も狭いどこも控え目。ここに、現在はサンタ・キアーラ教会に移動している聖ダミアーノ磔刑図があって、そこで聖フランチェスコが祈りを捧げていた時に「汝の壊れかけた家を直しなさい。」と声が聞こえたというエピソードがあります。

聖キアーラが生活をして亡くなったのもここで、部屋の一角にここで息を引き取ったという場所があります。

 

 サン・ダミアーノ教会から更に下って、最後のメインの場所へ向かいます。

 

リヴォトルト聖地 Santuario di Rivotorto

アッシジ サントゥアーリオ・ディ・リヴォトルト

 上の写真の外観として見えている建物内に入ると、内部に更に建物が。

 

サントゥアーリオ・ディ・リヴォトルト 内部

 

 “あばら家”と呼ばれる建物があります。ここで聖フランチェスコとその追随者がその活動の初期に集まっていたそうです。

裏から見ると、こんな感じです。

 

サントゥアーリオ・ディ・リヴォトルト 内部

今回旅で一番最初に見たポルツィウンコラも形が違いますが、同じように教会の中に聖地がありました。
ちょっと不思議な構造ですよね。

と、ここまで来て、サンダルで歩いていた足の皮が剥けまして、痛い痛い。
あわよくば、そこにあるバス停から駅まではバスに乗って行こうと思ってましたが、この教会から出た瞬間にバスが通り過ぎてました。そして、次のは50分後。
フィレンツェに帰る電車が25分後だったもので、これは、歩くしかない!競歩!

でも、歩くといい事あります。道の途中で、こんな小さな教会発見。 

 

 サンタ・マリア・マッダレーナ教会 Chiesa di Santa Maria Maddalena

アッシジ サンタ・マリア・マッダレーナ教会

 時間がなかったので、この教会の説明が書いてあった看板も読めずに通り過ぎました。

あとで気になって調べたら、サンタ・マリア・マッダレーナ教会と判明。
なんと、ここで聖フランチェスコがハンセン病患者を抱きしめたという場所だったそうです。
聖地ですね!
建物は12世紀のものだそうです。 

そんなこんなで、必死にがんばって定刻に間に合ったと思ったら、電車の遅延30分。ま、そんなもんですよね。
今まで飛行機に乗り遅れた事が二回あるのですが、その時は飛行機の遅延を切に願いました。
でもそういう時に限って定刻通り。まあまあ、そんなもんですよね。