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観光ガイドとは?ガイドが考えた。

観光ガイド フリーツアー

画像はwikipediaのフリーツアーイメージ

 

ところで、私はフィレンツェ県公認観光ガイドの資格を持っています。

“ガイド”と簡単に言いますが、はて、この仕事は一体なんだろうか?という事について考えました。美術大学出身で老練の職業ガイドではないことから、視点が若干特殊です。

そんな考えもあるのだろうか、と多様性にまかせた今の世界の一片とおおらかに受け止めていただければいいなと思います。

 

 

まずは、ガイドのイメージ。

 

-私の以前のガイド像1

旗を持って団体の先頭に立って歩いてる人。 百戦錬磨っぽいけど、結構疲れてる感じ。

-私の以前のガイド像2

バスの車中、白手袋でマイクを持って録音を再生したかのごとくよどみのない説明を、どこから声出てます?っていう地声からかけ離れた、かつ独特のイントネーションで、「みなさまの〜右手にまもなく見えてまいりますのは〜、ほにゃほにゃと申しまして〜、なになにの時代にこうこうがあって、こにょこにょと呼ばれております〜。」って言う制服を着た人。

 

・・・ちょっと違うかも。

 

 

ガイドの呼称。

イタリア語でGuida turistica autorizzataとか、英語だとLicensed tourist guideとかよく言います。

日本語では観光ガイド、これがしっくりこない理由は後述します。現地案内人、通訳案内士、アテンド、通訳、添乗員、アシスタント、道案内、など、近いけど違うな、。

美術館内で仕事中に「学芸員さん?」と日本の方に聞かれた事もありますが、学芸員の資格は大学時代にうっかり申請を忘れて受講を逃しましたので持っていません。

他には近い存在として、ツアーオペレーター、旅行代理店など。このサイトはグーグルの区分がそれしかなかったので、なぜか現地旅行会社になっています。

 

 

キーワード検索してみた。

 

-観光ガイドとは(検索ワード)

観光ボランティアガイド - Wikipedia

ボランティアガイドが検索2位に出てきました。読んでみるとちょっと違う。

外国人に一万円で地元案内する観光ガイド

これは日本でなんだれども、自分で勉強しただけならばイタリアでやると違法行為だよ?それでも”観光ガイド”って自称できるんですね。ますます謎な観光ガイド。

 

-Guida turistica(検索ワード)

なかなか「これだ!」と思うガイドの説明文が出てこないので、イタリア語で検索。

パソコンの言語設定にもよるのでしょうけれども、検索結果のサイドバーに出てきたのが、日本語の”wikipedia添乗員”。あれ、”観光ガイドguida turistica”で検索したのに、なんで”添乗員”が出てくる?と思い、とりあえずページを見てみました。

添乗員 wikipedia -日本語

添乗員さんとは旅行会社手配の仕事をする場合ほぼいつも一緒にお仕事をしますが、知りませんでした。こういう決まりが色々あるんですね。

私は添乗員付き団体旅行で旅をした事はないので端から見た感想、、大変そうなお仕事です。

ある時、添乗員さんが急病人と同行するのでお客様グループのホテルまでの移動をアシストした時の事です、その時のツアーのリクエストが「備品・全室に電気ポット」。ホテルに到着してレセプションで聞くと、「全室に置くだけの数の電気ポットはありません。」と、ありがちな状況。日本のニーズに完璧に対応できるのは、日本においてだけですね。

ニーズと現地の状況で板挟みになりがちな事は想像に難くありません。

その他もろもろ、お客様の要望にお応えしつつ、予定をきっちりとクレームが出ないように正確に進ませるのって、職人芸だと思います。特色ある方が多いです。

 

では、添乗員のイタリア規定はどんなものか、wikipedia添乗員のイタリア語ページをクリック。あれ、そこの現れたのは、

添乗員=Guida turistica(観光ガイド)!?

各国の規定が違うとはいえ、ここでも混乱していますね。添乗員にあたるのはイタリアではAccompagnatore turisticoなはず。

 

イタリアの観光ガイドの資格取得のためには、ちょっと前まで専門の資格を取るためのコースがありました。(現在もあるようですが、後述する法律の関係で資格発行ができないはずです。 追記/フィレンツェ県ではつい最近までは試験が続行していましたが、まだ白黒はっきりしない規定の下なので1年間の試験およびコースの停止が決定しました。2018年5月現在)

受講資格はイタリアで大学に入学する資格を持つ人。イタリアの高校以上を卒業していない人は、日本での学歴をイタリアで認めてもらうために、在日イタリア大使館を通じてわざわざ指定翻訳家に卒業証明書を翻訳してもらってかつ、認証印をこっちの役所でつけてもらって提出します。(面倒な手続きの方法ってその時は集中してやるけれども、終わると記憶から削除!なので、多分、、そうだったと思います。)

で、美術史、経済学、考古学、歴史、食文化、歴史的祝祭日について、実践インターン、救急処置、あとシステムが古くて意味がなくなってるFAD-Formazione A Distanza遠隔教育を自宅で最低50時間。中間試験に最終試験。筆記試験と口頭試験。口頭試験は第二言語も必須です。授業時間トータルは800時間。

基本はイタリア語なので第二言語は口頭で簡単なチェックがあるだけです。日本人は間違いなく第二言語の日本語はパスできます。

イタリア語での口頭試験は、何を聞かれてもとりあえず喋る事が必須。「知りません。」という回答や沈黙は存在せず。何を突然聞かれるかは分からないので、古代から現代までの知識を頭に詰め込んでおいて、何を聞かれても、試験官に制止されるまでしつこい程、細かく正確に専門用語を正しく使って喋り捲るのが基本。

妥当そうに聞こえますが、色々問題もある試験なので、一概に公平な試験とは言えません。時期やガイドコースを主催する学校によって、かなり学習内容が異なります。

 

観光ガイド資格の裏

さあ、問題ある試験。最近テレビで裏を大暴露していて、ここまでやるの?!とびっくりしたのがこちら。クリックすると動画が観られます。

STRISCIA LA NOTIZIA-GUIDE TURISTICHE CHE NON PARLANO L’ITALIANO

(STRISCIA LA NOTIZIAという番組-“イタリア語を喋らない観光ガイド”)

この番組ではフィレンツェ県のエンポリにある、全くイタリア語を解さない韓国人でもお金を払えば資格が取れる学校をスクープしています。

学長は担当教師が勝手にやった事で学校は関与していないと言っていますが、嘘でしょう。

最終試験では外部の試験官が来るので、チェックされるはずなのにその外部試験官の前での誤魔化し方も教えるようです。「イタリア語を繰り返し繰り返し歌うように覚えれば、内容は分かってなくても試験にはパスする。」(最近の外部試験官は受験者の直接質問せずに黙って聞いているだけの人もいます。)

現在ローマで仕事をしている韓国人公認ガイドの一人に、本当にイタリア語が分からないのか、それとも答えるのが面倒で分からないフリをしているだけなのかを確かめるために、「車に死体があるんだけど、どこに持ってったらいいかな、。」って話掛けてますが、無反応。こりゃ分かってない!

 

今は法律の隙間の時期で、一つの地域の観光ガイドの資格(イタリアでは地区ごとに資格が分かれています)を取れば、イタリア全土でガイドとして働いても、とりあえずセーフ?のグレーゾーン、可とも不可とも言えない状況。

それを利用して、試験に通りやすい地域にわざわざ行って資格を取り、違う地域で仕事をする人たちがいるんです。

例えばこの動画にあるようにローマでガイド、特に今需要のある中国語、韓国語ガイド。無資格でガイドをする人も多いけど、名ばかりの正式な資格を持っているので悪質です。

 

そもそもなのですが、イタリアそれぞれの土地で歴史も文化も違います。それだけに地域ごとに分けた試験があるので、フィレンツェで試験を受ければフィレンツェ史をメインにやるけれども、ローマ史はかいつまんだ基本程度しかやりません。その逆も然り、ローマガイドがフィレンツェガイドはできません。住んでないと分からない事も沢山ありますし、歴史は土地に根付いています。

 

不幸中の幸いで、ここまで酷い学校で資格を取った日本人はいないようです。韓国人、中国人だけを集めた学校があるんだそうです。

ただし、私の受講した前後数年は受講者全員合格でした。明らかな落ちこぼれも出席日数の足りていない人も全員合格です。資格はお金で買うものになっている事に変わりはありませんね。

 

この動画の話題ではありませんが、国によって全くガイドの規定が違って、ヨーロッパでも大学の文学部を出ればガイド資格が取得できる国もあるそうです。つまり、ガイド資格が簡単な国では給料も安い、その安いコストのガイドを使ってイタリアの現地ガイドを使わなければ、旅行会社はコストを抑えられます。

ロシア出身の友人ガイドが添乗員をしていた頃、添乗員なのにガイドの仕事までさせられていたそうです。ロシア語だからバレる事はない、と。

そういったイタリア国外の思惑と国内事情とがかち合って、ガイドに関する法律は未だ迷走中です。

 

もう一つ、問題となっているのは、フリーツアー。無料でガイドをやりますよーっていうツアー。最近よく街中で参加者を募っています。ガイドは無免許。お金を取らないからいいんだ!という屁理屈でやってます。そのツアーに参加するともちろん無料ですが、最後は必ずチップが必要な状況になり有料ツアーと変わりません。日本語では見ませんが、英語ツアーはあるので日本の方が引っかかっていない事を祈ります。

 

などなど、いろいろなケースがあります。

本当は数年ごとにガイド免許更新の試験を設ければいいのですが、そう簡単なものではないらしいです。ただ、「ピッティ宮殿はコジモ一世が購入しました。」とか、「ピエトロ・ダ・コルトーナはメディチ家のお抱え画家でした。」とか平気で言えてしまうガイドの免許は剥奪していいと思います。人間誰でも間違いはありますが、この間違いの場合、その時代のもろもろの状況全てが理解できていないという事になり、深刻です。

一度資格を取ってからでも勉強を永遠と続けるのが仕事の一部であり、楽しみであると私は思うのですが、そうは思わず金稼ぎに専念するガイドもいますので、それを避けるためにも更新試験を望みます。

 

 

ガイドというプライド

問題ばかりが目立つ状況ですが、実際のところは資格を持ち、ガイドである事を誇りに思って仕事をしているの人が大半です。

一般に、イタリア人がガイドの資格を場合はその時点で既に何かしらかの専門分野を持っている場合がほとんど。例えば大学で美術史、考古学、言語学、歴史学を修めた人など。スタートから既に専門家であるのに加えて、総合的なガイドという仕事の為に、専門外の事をバランスよく学びます。なので、経理や救急医療なども必須学科。

そういう人たちがガイドをすると、内容が濃いです。もちろん簡単な道案内も含みますが、「そこにあるのは〜教会、誰々の作品があります。」だけでは説明を聞く方も納得しません。そりゃそうです、日本人に「ここは皇居で、天皇の住まいがあります。」と言うようなものです。

逆に、日本からの団体旅行の場合専門性はあまり要求されない事が多いです。時間の都合によるところもありますが、一般的な説明をさらっとしてガイドツアーは終わります。そんな説明を聞いてくださるグループの中には好奇心旺盛な方ももちろんいらっしゃいますが、どうもそういう方ですと団体旅行で短時間で済ませなければならない見学には向いてないのではないかと感じられます。時間の都合で名画の鑑賞を2分で済ませるのは寂しいです。時間の都合で連れてゆかれるがままです。

団体旅行のガイドに要求されるのは、時間の正確性と代表作を効率よく説明する能力、小技、ガイド間の暗黙の了解や業界の細かい知識、日本人特有のニーズを理解する能力、等々。。その中でガイドそれぞれの個性が発揮されます。場所はウフィツィ美術館と大聖堂とヴェッキオ橋とシニョリーア広場、それで大体終わり。

が、それだけのザ・イタリア!みたいな観光旅行は減っていますし、今後も増える事はないでしょう。旅行会社も特色あるツアーを出してきています。

反対に中国はザ・イタリア観光がまだ流行っているようです。その大きな理由は情報量の差だと思います。例えばヴェッキオ橋の事は”黄金の橋”と紹介する場合があるそうです。黄金の橋と呼んでおいて、後で連れてゆく提携店での購買意欲に繋げるという商法です。ツアー中は購買意欲を高めるフレーズをちょこちょこと入れるのがテクニックなんだそうで。これはバックに”なにやら”かがある無免許のガイドのやり口です。

なぜだかヴェッキオ宮殿には無免許中国人ガイドが沢山います。

 

日本の場合は、インターネットやテレビや雑誌で情報がかなり入るので、ともかく情報は多いですね。真偽のほどは置いておいても。

便利なのでついつい使ってしまうwikipediaはイタリアの歴史については間違っている事が多々あります。wikipedia日本語版でどうしても許せなかったBattaglia di Cascinaの読み方、”カッシナの戦い”に近いのに、”カッシーナの戦い”になってたのがむず痒くて、思わず修正していまいました。ただし、タイトルまで変えられずそのまま中途半端です。もっともこれは読み方だけの問題だったので大した事ではありません。

今はスマートフォンを持ち歩く人が大半なので、クラシックな日本語ガイドは必要とされなくなっていると、強く感じます。グーグルマップ、トリップアドバイザー、ウィキペディア、などで事が足りると思う方が大半です。

 

 

 

日本語観光ガイドとは?

ここまで長々と書きましたが、ガイドとはなにかが結論づけられないまま、”ガイド”はなんとなく良しとしても、”観光ガイド”の言葉が腑に落ちないので、漢字のせいかな?と考えました。

観光って、、

「光を観る」と書くのがな、、とそれが引っかかります。目の前にある美しい街並みや美術作品を観て、美味しいものを食べて満足!みたいな。それは確かに観光旅行の醍醐味でもある。ただし、それだけならガイドは不要、?

現地在住の日本人が、美術館の入り方を教えてあげて、ガイドブックに書いてある事を暗記しておいて、それを作品前で語って、おすすめのレストランに連れて行ってあげて、いい場所に自家用車で連れて行ってあげて、というのでも言い訳だ。(←超違法行為!)

 

観光政策

イタリアの観光政策は素直にすごいと思います。

国の補助金を使った小規模な町おこしではなく、国の経済基盤の大きな要素です。フィレンツェでは、まずメディチ家所有の美術品がフィレンツェから持ち出される事がないように定めたPatto di famigliaという文章。1737年の話です。早いです。

遡ってルネサンス時代も、街を飾る美術作品は政治的なプロパガンダでした。

近代になると、ビステッカ・アッラ・フィオレンチーナ(フィレンツェ風ビーフステーキ)をなんと古くからの伝統料理だと思わせてしまいます。1900年代初頭の観光政策です。

ミケランジェロ広場の裏の美しい緑の丘も、景観を守る観光政策。

政治家が美術をなおざりにした発言をするのは教養がないと見られるだけなので、センスがなくても美術の擁護側に建前はなります。

美術は政治です。

 

日本で美術大学で学ぶと、「美術は無駄な事だ」と考える人に出くわす事があります。

「自分の娘は看護大学で勉強をしている、云々、。」と近所の人に言われた友人。それに比べて美術を学ぶ事は趣味の延長、余暇的な、付加的な、ヒエラルキーでは下位の必要ないもであるという認識です。文明開化後、戦後教育が染み渡っています。

そこからいい加減脱却しようと動く人は大勢いても、義務教育のなせる技で、付加価値しか与えられなかった美術は脇に追いやられたままであり、そのまま現代美術という一般理解が難しい分野に突入して、世間と隔絶している矢先に現代美術が”対話”を求めてくる作品の押し売りをして来ますので、ますます拒否反応が出るのではないだろうかと思います。

なので結果、ビジュアル的に受け入れやすい商業的なデザインの美術が優勢になります。

商業は、表面を飾り人々の目を惹きつける道具として使いやすい美術を欲します。そこにコンテクストがあれば理由づけにはなるけれども、魚を釣るための餌みたいなもので、自ら望んだコンセプトではない。

確かに視覚的に良い印象を持つ事は第一ですが、、「きれいねー。」「上手ねー。」という上っ面だけの感想は戦後教育の賜物です。そこには「感覚的に心動かされるのが素晴らしい絵画である」という汚染された”感覚”があります。自らの美しいと思う感性は、オリジナルのものではなく環境や文化、時代によって簡単に変わってしまうものです。それでも、なおかつ心動かされる何かを求めて、美術作品などを鑑賞する個々の時が持たれます。鑑賞する体験はどこまでも個人的なもので、かつ人類共通の何かがあります。

 

画家に「上手ですね。」と言うのは、貶し言葉です。画家はテクニック的に上手である事は前提で画家であるのだから。

大学在学中に不思議に思っていた事の一つ、そういった”上手さ”を褒める教育側の問題。学生なのだから、技術的に未熟なところがあって当然で、それを上達させるのは大学の課題でもある。ただし、それを評価の基準にしてはいけない。どれだけ”苦労”して技術を手に入れたか、”苦労”しても手に入れられないか、の”苦労”の部分を評価するのは、単なるスポ根。それか感動ポルノ。

 

 

かつ、日本美術と西洋美術の断絶とその受容の仕方など、ひねくれた部分が多く、素直に美術史を勉強しても日本美術史と西洋美術史がしっかり分かれる特殊な国が日本です。

初めての海外旅行先スペインで、何気なく展示されていた1700年代の服飾を見て、「この国では今のファッションと過去のファッションが無理なく繋がっている。」と変な衝撃を受けたのを覚えています。現在の和服は洋服に要素として取り入れられる事はあっても、ファッションのメインストリームではない別の分野ですね。

日本の美術界にあるこの分断は近年意識されるようになり、今はそれを踏まえた上でのアイデンティティも受容されやすくなる土壌が若干はあるような、ないような、。

そのあたりは、また別の機会に取り上げましょう。

 

 

ともあれ、美術と政治と経済が、日本ほど隔絶する事のなかったイタリアにおいて、観光政策の一環としての公認ガイドの資格があります。

公認ガイド資格

先に挙げた現地在住日本人であれば誰でもできてしまうような観光案内では、間違いが多く、イタリアのイメージを損ねたり、間違った認識を持たれてしまい、それではイタリア側は困るんです。

例えば、日本に観光しに来た外国人に、その同胞である在日外国人が勝手に観光ガイドをして、「納豆が臭い理由は、履き古した靴の中で作るからです。」と説明したら、日本人怒りますよね。でもその国の言葉でしゃべっているので、日本側はそんな大間違いをチェックできない状況。

 

同じ状況がイタリアにもあり、こりゃいかん!となる訳で、仕組みを作ったのが、公認観光ガイド。

当初は日本人はなかなかなれずイタリア人のガイド資格保有者に通訳という形で日本人が付いていた時代もあります。ただしその場合はイタリア人ガイドは喋らずに法律を抜けるための小道具としてくっついていただけで、日本人通訳が喋っていました。

それもそれで問題なので、今度は外国人もガイドになりやすいようにしたら、レベルがまちまちだし、増えすぎたり、、昔からガイドをやっている人たちは新しい人たちに仕事を持ってゆかれる事を嫌ったり。いかんせん、失業率の高い国で日本語話者としての能力を活かせる少ない職種の一つなので、熾烈ですね。顔を合わせるときは笑顔で挨拶しても、裏で悪口を言われている事も。すごい闘争心です。

 

でも、ガイドコースなんですれども、いい学校に行くとイタリア人ですら間違って認識している歴史やなんかも、ちゃんと教えてくれます。ガイドになりたい訳でなくてもとても面白い授業が受けられるので、余暇の楽しみとしてもおすすめです。ただし勉強するのが苦痛な人には単なる受難。授業外で読まなければならない資料もごっそりいただけます。

 

そうそう、「どこかの旅行会社に所属しているんですか?」とたまに聞かれますが、ガイドは皆、個人事業主です。専属という形で一つの旅行会社の仕事のみをする人たちがいたり、色々な旅行会社の仕事をする人たちがいたり、グループを作っていたり、ですけれども、皆、個人事業主です。

 

 

おわりに

元々ガイドをやるとは微塵も思っていませんでして、超観光地でもあるフィレンツェに住む事になって、知り合う日本人からたまーに聞くようになる職業、それがガイドでした。ひょんな事から自分がやる事になり、新しい世界が目の前に広がり、この世界に引っ張ってくれた友人らにとても感謝をしています。

自分の趣味の本を読んだり、旅行をしてると、それが仕事のための勉強だって偉そうに言えて、友達と食事に出かけても、それも仕事の下見。なんと素晴らしき仕事。笑

 

この先、ガイドという職業は淘汰されてゆくのか、もしくは今までとは違う価値を見出して生き残ってゆくのか、未来はまだわかりませんが、これだけ今言いたい。

旅行なんだから、もっと楽しいのを無視しないで、どうか見て行ってー!

スマホやガイドブックに出ているのって、大体いい線を行ってるけど、なんか違う。そればっかりを信用して、せっかくの滞在を終わらして欲しくないんです。

記念写真を撮って、買い物して、食べ物がおいしいね、だけの観光は終わらせませんか?

 

 

何かご意見等ありましたら、お気軽にコメントをどうぞ。

 

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