「父さんは嘘つきじゃなかったんだ!」
の「天空の城ラピュタ」のモデルの一つと言われるCivita di Bagnoregioチヴィタ・ディ・バーニョレージョ。
前回↓の続きです。
バスの運ちゃんの興奮冷めやらぬ爆走と、田舎道のカーブの連続で、うたた寝もできずにぼーっとしてたら、
突然夢のように目の前に現れたのがチヴィタ!!
という訳でもなく、チヴィタとその昔地続きだったバンニョレージョという街がバスの終点。
そこからシャトルバスか徒歩でラピュタを目指します。
バンニョレージョの街は小さくて、シャトルバスを使わずに徒歩でも10分くらい歩いたら家並みがなくなり、この風景↓が見えてきます!
チヴィタ・ディ・バーニョレージョ到着
周りがなにもなくて、ぽつんと残った台地。
「Il paese che muore」死にゆく街と呼ばれます。
凝灰岩と粘土質からなる脆い地盤なので、崩れてゆくのが運命。
かつて5つあった門も、今は一つだけです。
門を入る前に左手の窓からのぞくと、階段が途中で崩れてなくなっている廃墟。
綺麗な古い街並み。
猫ちゃんに誘われて奥まで行きましたが、この先はもう何もなく行き止まりです。猫しか通れません。
メイン通りに戻って少しゆくと、今までで見た中で、一番美しいトイレ発見!
本当はもうちょっと手前から写したかったのだけれども、彼女のトイレ出待ちか、男性が携帯を片手にどどんと座っていたので、一部だけになりました。廃墟になりかけた石造りの壁と、今でもきちんと手入れされた花、その色合いと組み合わせが素敵でした。
右のお姉さんの後ろにお手洗いマークがあります。結構並んでいたので入りませんでしたが、中はどんなのだったのでしょう?
近くのレストランの角で上を見上げると、バラの花が満開!
もっと先に行くと、エトルリア人が掘ったという洞窟みたいなところがありました。
入り口にはプレートが貼ってあって、日本語と中国語の表記も有り。
中国人の友に聞いたら書いてある内容はほぼ同じだったのですが、中国語版は「2500年前」日本語版には「3000年前」と書いてあります。
これは翻訳の問題ではなく、数字だから誰が見ても分かるはずでは・・。
「500年の開きは大きくないか??」
と、私が突っ込んでいたら、横を通りがかった人が、
「これを書いている間に500年過ぎたんだよ。」
と、解説を入れて下さいました。
なるほど、納得。…え?
チヴィタの歴史
大抵こういうところは、行政の公式サイトに歴史の説明があるはず。と、家に帰ってから検索したら、Comune di Bagnoregio – un po’ di storiaエラーが出ました…。(次いでリンク切れ)
こっちには、あっさりと書いてあるけれども、何年前かは書いていない。
多分ここでお店とかB&Bを経営している人たちのこのサイトによると、2500年前。(日本語版、間違ってるってことか?)
両方のサイトの情報を合わせると、約2500年前にエトルリア人によってつくられた街だそうで。
エトルリア人らは常に防衛に有利である高い土地に集落をつくります。
紀元後599/600年の教皇の残した記録ではBalneum Regisという名で呼ばれていました。
それより以前の記録はなく、この呼び名はゴート、ロンゴバルド族の言葉が語源となったの地名で、現在のCivita di BagnoregioとBagnoregioを合わせてそう呼んでいました。
伝説ではロンゴバルド族の王が病におかされた時にこの地の温泉水を飲んで治ったことに由来するそうです。
その後の歴史を書くのは省略しますが、1695年の地震によって、道や建物に大きな被害がでて、多くの住民がここを後にしました。その後も地震によって崩れ続け、現在の姿になりました。
上のB&Bのサイトリンクから、1765年、1874年はどのような姿だったのかを見ることができます。1765年の絵の方には、今はもう崩れて存在しない聖フランチェスコ修道院がCivitaとBagnoregioの間にあったことを示しています。
さて、その洞穴の中には、さすがにエトルリア時代のものではないけど、オリーブオイルやワインを作るのに使っていた道具が展示されています。
これは、オリーブを潰すための臼みたいなもの。↓
こっちは絞るためのもの。↓
内部の階段。
手彫りでもかなり柔らかそうな地質で、ノミ跡が深いです。(石彫専攻だったので、そう思います。)
この洞窟を出てメイン通りに戻ると、そこはもうチヴィタの街のほぼ反対側に近いところ。
更に坂を下ってゆくと別の洞穴があり、そこは現在は小さな礼拝堂として使われていますが、元々はエトルリア人の墓場であったであろう場所です。
もっと下ると、チヴィタの地下を貫通する洞窟があると地図には記してあるのでが、残念ながら閉鎖されていました。
土曜日だったこともあり、観光客でいっぱいで天気も良く美しい街並みでしたけれども、どこかやはり寂しい感じのする不思議な場所でした。