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ミラノへ展覧会4つほどを観に、その2。と本。

ミラノ 900美術館

 

 

なんだか、「インスタ映えするよ!ハッシュタグ付けて宣伝よろしく!」という意図が感じられるやらしーセットだったので、素直にこの上の写真を撮りました。
インスタには載せずにブログに載せてやるー。

と、まあ、でも、いい景色ですよね。
ミラノのMuseo del 900の館内から見たミラノ大聖堂。

前回からのの続きです。

ミラノへ展覧会4つほどを観に、セールの時期に。

 

Museo del 900 – Milano

美術館の名前として付いている900はノヴェチェントと発音して、1900年代の事を指しています。
1900年代の事を千の位まで付けて”1900ミッレノヴェチェント”とは言いません。例えば1400年代の事はクアットロチェント。(ilっていう定冠詞は抜かしてるけど)
現代アートっぽい気がするから、現代美術館と言う人もいるみたいだけれども、さすがに2019年にもなって20年前までのアートは現代とは呼べないし。
そんな訳で、ノヴェチェント美術館。
フィレンツェにも同じ名前の美術館があり、やっぱり1900年代の作品を収集、展示しています。

 

なんだかんだ言って、ここに来るのは今回初めてでした。隣のPalazzo Realeはちょくちょく行くのに。
しょっぱなから美術の教科書に出てくる作品がゴロゴロ展示されていました。

 

モディリアーニ

アメデーオ・モディリアーニ。
高校の美術の教科書だーーー!本物だ!

 

 

 

モンドリアン

 

モンドリアン。
この時期のモンドリアンの絵画、理屈は抜きで好きです。
美術予備校に行ってた時、最初はデザイン科だったので平面構成の参考にしていたような。
実家に放置しっぱなしのカタログを持ち帰りたい意欲up。今検索してみたら、多分1998年のBunkamuraザ・ミュージアムでのモンドリアン展カタログだったのではないかと思われます。当時は1900年代…21年前!

 

 

ボッチョーニ

 

ボッチョーニ。
これも教科書に載ってたー!
デザイン科での立体構成と丁度スケール感が似ていて、どっかで影響を受けた気がします。
実物は想像していたものよりも、若干大きく、そしてブロンズという素材が、構成的でありながらも重厚さが出していました。表面的なものをなぞった立体デザインではない事は確か。そりゃそうだけど。

 

 

 

キリコ

 

ジョルジョ・デ・キリコ。
有名な形而上絵画は、フィレンツェのサンタ・クローチェ広場がインスピレーションの元って、あまり知られてませんよね。
フィレンツェのノヴェチェント美術館、シヴィエーロ美術館にもデ・キリコの作品ありますー!と宣伝しておこう。

 

 

同じノヴェチェント美術館内で、「CHI HA PAURA DEL DISEGNO? – デッサンが怖いのは誰?- 」展も開催中。

 

一周美術館を廻った後にある展示室は小さい規模でしたし、あまり期待はしていなかったけれども、
このデッサン発見!

アドルフォ・ヴィルト

 

アドルフォ・ヴィルトのまだ見た事のなかったデッサン!
この人はイタリアでは結構有名な彫刻家です。以前、この人の作品を探して墓地をうろうろしたりもしました。

ミラノで一番の観光スポットはここ!: アドルフォ・ヴィルト

 

ガラスケースに思わぬものも発見。↓

アドルフォ・ヴィルト

 

これ持ってるー!
20年くらい前に日本で入手したんですけれど、インターネットであまりヴィルト作品の情報がなかった時代(探し方が悪かったのかも)に、この1945年発行の小冊子のデータを元にミラノで作品探しをしたんです。
薄っぺらい小さな冊子の割に、内容が良く、、そして思い入れのあるいい本です。

 

 

Carlo Carrà

続いて、Palazzo Realeの地上階の会場でやっているCarlo Carrà展。
(前回ブログで書いたピカソ展はPalazzo Realeの上の階。)

 

カルロ カッラ

 

このカルロ・カッラーというイタリア人画家の作品、作風にかなりの振幅幅があります。
撮影禁止の作品も多かったので、会場でもらってきたパンフレット↓をご覧いただけますでしょうか。

 

カルロ カッラー

 

見開き4点、一瞬4人の画家の作品が紹介されているようですが、どれもカッラーの作品。
中央下にあるはデ・キリコそっくり。左上はジョルジュ・ブラックっぽく、右下は純粋な風景画っぽい風景画、右上は人物が配置された風景画。
その他、展示作品の中には画面内を大きくキュビズム的に構成したものもあれば、風景をそのまま切り取ってきたようなもの、デフォルメされた人物像、自然な人物像、、、、。
時代別にカテゴリーで分けられるものもありがなら、晩年にトスカーナの海近くに家を構え描いた作品には、自然な風景画の中にも画面を平面的に割って構成したようなものもあり、なので一括りでカッラーを語るのは難しいです。
約130点ものカッラーの作品を集めた、これまでなかった大規模な展示なので、少ない展示数では分からない大きな流れを見る事ができました。
でも、やはりよく分からない面もあるなぁ、なんて会場を進んでいたら、「・・・必ず両義的である。」というカッラー自身の言葉が壁に示されていました。

 

で、ですね、結局のところ芸術というのは、その時代のリアリティーの各々のヴィジョンなのではないかと、そんな感想を持ちました。

というのも、最近この本を読んでリンクするところがあったからです。

哲学の実用書みたいな感じです。
哲学書って一般的に、それこそ形而上学的かのような、用語とかも意味不明なのに輪をかけて意味不明な文脈で語られたりするので、とっつきにくい。それがこの本では現代人に分かるように例え話を交えつつ噛み砕いて説明されており、生きる上での役立つ内容です。すごく面白い。

私は哲学に興味ありますが、ある一定のところまでは理解できても途中からとんでもない次元の話になってくのに追いついていけない感じに多々なります。(読解力と予備知識が足りてないって話!)

理解できない感じを簡単に例えると、アルファベットの大文字AとかBとかを現実世界に基づいた事象だとします。
そして、 哲学の話はそこから端を発してAはaに置き換えられてコード化されて方程式(思考)が組まれます。A=a, B=b,そこにcという概念を入れるとx=a*b%c=e, さらに架空の概念gを条件式として取り入れて、if y=e+gの二乗、ゆえに世の中は”λ”になる!!!!!!!的な。それが、私の理解できない哲学。
(例えが分からん!笑)
それが、この本ではすべて現実界に片足をきっちり入れてくれて、誰でも分かる哲学になっている、と。

 

で、上の本の冒頭でも紹介されている同じ著者の本はこちら。これも近々読んでみようと思っています。

 

 

アートというのは、日本では趣味の延長と思われがちなところですが、ヨーロッパでは文化人としては重要な教養の一つです。
フィレンツェに住んでいて、周りの様子から感じられるのは、学歴や地位のある人たちは普段携わっている仕事とは直接関係がなくても美術に興味があったり、素養として一定の知識があるという事。

うちの子は中学生で、その中学校で指定の美術の教科書が、私が美術大学に入ってから買ったこの本↓よりも詳しいのですね…. まぁ、実技系は残念ながらそんなんでした。学科の勉強はしなくて合格できるっていう、。今の入試はどうか知りませんよ。むしろ問題は入試ではなく、大学で学ぶ内容ですし。

イタリアの政治家が美術作品について、もしトンチンカンな事を言ったとしても、美術をないがしろにする発言をする事はありません。どっかの国の政治家や役人は美術を含めた基礎的な教養がないのか、そのあたりに違いが出るのかもしれません。
今は古くなりつつある架空の言葉、”欧米”という所ではこうだから、という自虐的な思考回路に戻る事なく、戦略的に必要な知識は取り入れて独自の歩み方をするのがこの先の日本ではないか、

と、こいつと一緒に酒を飲みたくないな的風をふかせて、今回の記事は終わり。
(お酒は弱いです)
ではでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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