今日、たまたまfacebookを見て目に入ったのは、最近フォローし始めた「美術手帖」の記事、
多摩美彫刻科の学生有志、ハラスメントなどで大学に要望書を提出
(記事の内容の詳細は、上のリンクからどうぞ。)
まず、このような議論、手続き、話し合い等に、本来ならば最大限に自身を伸ばすチャンスである学生の期間に貴重な時間を割かなければならない状況が残念だな、と思いました。
っていうか、まだこんな状況なの?!
本当かい?!
初めに、
この議論に関して、あーだこーだ言うほど物理的にも時間的にも近くはないので、とりあえず私の事を先にお話します。
武蔵野美術大学(以下ムサビ)彫刻学部卒、石彫専攻研究生で二年間多摩美術大学(以下タマビ)に通いました。
その前には2浪しています。1浪目まではデザイン科、2浪目から彫刻科。
彫刻学科に変更したのは「人の形を作る技術が私には足りん!」と思ったという個人的なもので、デザイン科の前は建築学科志望でした。そんな事はどうでもいいか。
ムサビ学部入学後は、彫刻研究室直下ではなく、共通彫塑研究室というちょっと管轄の違う石彫をやっていましたので、いつもアウトローのような感覚がありました。
みんな、石彫は大変だからって、選択授業でも他を選んじゃうし。さみしい少数派です。
学部卒業後、ムサビの大学院に残ってもよかったのですが、石彫場に一年生の頃から勝手に入り浸っていた(本来は専攻別になる3年生から選択)ので、大学院までムサビだと同じ場所に六年間もいる事になり、違う場所も経験しようと、タマビに入りました。
大学院生ではなく研究生になったのは、学費が高い院生だとアルバイトに時間が取られる、それは嫌だ、という打算的なものです。
結果的には学部生ではなく、大学院生でもない立場、というので丁度よかったです。
何かが違う
学科は同じでも、大学を変えるとここまで違うか!とびっくりしたものです。
そもそも、大学入学前までは大体皆同じような訓練をする訳です。
当時彫刻志望の予備校生は、水粘土で塑像、木炭デッサン(石膏、石膏、人体、石膏!)、って結構代わり映えしないテクニック的なもんですね。
→参考記事 「石膏デッサンの100年」が、届いた!
そこに情熱を持って粘土の付け方や、量感、構成、とか、そこだけでしか分かり合えない狭いユートピアの中で、合格不合格の重圧で面白い事になっているのが受験生です。
で、晴れて合格する先は、そこまで本人の素性に沿った大学っていう訳でもありません。(もちろん事前にどんな傾向の大学かという情報はあるので、志望する大学はそれぞれにありました。でも、基本的に複数の大学入試にチャレンジ。)
受験前には大体それぞれのレベルってありますので、デッサンが落ち着いて冷静にできたかどうか、みたいなところが最終的に決定打。
ムサビはその頃から入試の課題が変わってきてはいたので、今はもっと大学入学時の振り分けがあるかもしれません。
少子化で全体の受験者数も減っているでしょう。
で、ですね、大体入学時は同じような学生が、大学で学ぶうちに”その大学の作風”みたいなのを醸し出して来るんです。
結構、ドン引きですよ、正直。
影響が大きいのは、もちろん教授、講師等の評価をする立場の人たち。
大学の影響は大きいんですね、想像以上に。
卒業制作展とかで見比べると面白いです。
- ムサビ〜 プラスチックとかインスタレーションとか、コンセプチュアルとか、でも作り込みが甘いものもあったり、それ単に趣味の手芸でしょ?みたいなのもあったり。
- タマビ〜「きっちり仕上げてます!技術をしっかり使いました!ちょっと軍隊式!」みたいなのが多かったり。
- 造形大学〜 塑像、人体、佐藤忠良イエス!!船越桂もかな。
- 女子美〜 コンパクトにまとまる系?
- 芸大〜 なんか傾向が掴みにくい、、。
(15年程前の偏見に満ちた観察から報告。)
結局は、学生は評価をされたいんです。人間ですし。
そんな自分があるのを自覚していただけに、嫌でしたね。
タマビに入った時に思った事。
「宗教かよ!!!!」(あまり真面目に受け取らないでください。)
その当時のタマビ彫刻は素材ごとに担当教授がいて、くっきりはっきり、境界線でもあるかのごとく、それぞれにやっている感じがしました。
もちろん、専攻別にまだなっていない学部生もいたし、学生同士の交流もありましたし、お隣の研究室にお邪魔させていただいたり、楽しい事もいっぱいありましたが、
なにか閉じた世界で、陸の孤島に来ました?という感じがしないでもなかったような。
いえ、もちろん私の周りにいた方々に個人的に文句をつけている訳ではなく、あくまでシステムの問題です。
研究生でしたし、ある程度は覚悟して行っていましたので、文句は全くありませんでしたが、いやー、面白い世界を垣間見ました。
タマビに行って、初めて二科展、国展、新制作協会展に出品する、なんて話を聞きました。
二科展イコール工藤静香かと思ってました!
望ましいかもしれない環境
少なくとも、私が望ましいと思う環境は、
宗教(素材別専攻)に入信して尊師には絶対服従、ではなく、そこにどっぷり浸からなくても、技術的な事が必要に応じて学べる事。
脱藩(素材と共に墓場まで行かない)が容易である事。
他の学科との交流、特に実技系とは全く離れた存在になっていた芸術学科などとの交流。
芸術学科との交流は研究生時代に個人的にすこーしだけ持つ事ができました。
ムサビの教授に紹介していただいたタマビの教授の授業にさくっと入らせていただいたんです。
場違い感が半端ない存在になってしまいましたが、とても刺激的でした。
教授の「君は何をここで学びたいんだね?」とマンツーマンの授業になってしまった時の言葉の意味は、今になってはよく分かりますが、当時受け身なばかりで教えてもらう事が普通の状態で、突然聞かれて、多分相当的外れの答えをしていました。
ともかく実技系は、議論が井の中の蛙になりがちなので、まずいですね。
美術史についても勉強が甘すぎます。
ミケランジェロの作品の石膏像とか、どんな細部かまで知り尽くしてるのに、その人物が誰なのか、知らなさすぎ。
宗教についても、突っ込んで神学者を学校に呼んで話を聞くぐらいの余裕が欲しいです。信教の自由は保証されてるのだから、恐るものではない。
日本美術史も、試験を厳しくして基礎からごりごりやってもよかったと思うし。
結局、大学で私が必要とした事は残念ながら全て満たされる事はなく、イタリアに来る事になりました。
学部在学中に読んだ、若桑みどりの「マニエリスム芸術論」に影響されて、マニエリスムを学ぼうにも、自習しかありませんでした。
制作のテーマであった、ジャック・デリダ、バタイユ、このあたりを語れる相手を卒業後に分かったり、タイミングも悪かった。
学科の授業にぽつぽつと面白いものがあったのはよかったです。
もうちょっと真面目に学科を沢山選択していたら、と今は後悔しています。
技術指導担当を設ける。
これは、イギリスの美術大学に留学した経験のある教授から、「技術担当と授業での教授と、別にいる。」と聞いて、合理的だと思いました。
テクニックとイデアは重複するので、技術指導の人に指導の制限は設けずに、担当する主眼点はどこかを明確にして依頼するのが良いのでは。
男女比
だからと言って、無理やり女性作家を教授陣に加える事もないと思います。
女性だからという理由で選ばれる方も不幸です。
こういう議論が出る理由は、現在教えている方に戦前教育を引きずったかのような人がいる??
そういえば、ムサビの教わらなかった教授に、「セクハラじじいです!」という酔っ払いっぷりを披露されている方がいらっしゃいました。
愛される人柄であれば、「まあまあ」、で済むし、
あんまり、な人柄であれば、冷ややかな目で見られる、まあ、それが普通ですね。
タマビは深入りしていないので、正直さっぱり研究室以外の教授、講師陣については分かりませんでした。講評の時くらいしか接点がなかったので。
Pandyは男の子。うちの構成メンバーは彼のおかげで男女比50パーセントずつになりました。
教育、アカデミズム
アカデミズム、教育側は常に批判に晒されます。
既に、評価が与えられた立場にいる人たちが教鞭を持ちますので、
新しい動きと相反してしまうのは、ありがち。
で、教授職って、作家でありながら安定した給料をもらえて、肩書きもあって、先生って呼ばれて、ローンも組めて、作家としては保守的で尊大になれるチャンスがたっぷりの、危険な職業ですね。
なりたい人も沢山いるし、すでに教授だと手放したくはないでしょう。
教授職を手放して、作家としての知名度がなければ、ただの無職。
肩書き有りとなしでは、人間は変わるものですね。
与えられた役割をどうしても演じてしまうという実験を思い出しました。
アーティストがそれぞれ工房を持って、職業として認められる地位にあって、組合に入っていて、ってそんな時代がイタリアにはありましたけど、その時は工房の親方マエストロであっても、工房への仕事が減ってしまったら生きていけませんので、親方である前にまずアーティストである必要がありました。
アーティストとしては他の人に劣ると今でも昔でも考えられていても、領主に気に入られて大きな屋敷を持っていい暮らしをした芸術家もいました。
戦略ですね。
冷静にアーティストとしての戦略を教えられる人っていたら、学生にモテると思います。
評論家とうまくやって、取り上げてもらうとか、2回り以上離れたある種の権威にどうやって接したらいいかとか。
いっそのこと、みんな非常勤で雇って、人数を増やして、交流や情報を増やして、
制作の実際的なところはしっかりフォローできる体制を作って、
大学外との境界が薄くなったら面白いんじゃないかな?
そしたら、大学内部の政治がなくなるじゃないですか。
ちゃんと、いわゆる”空気を読む”ではない議論を、”意見の違い”をネタに、良い方向に昇華させてゆく方向でのディスカッションの機会を増やしたり。
で、そのディスカッションでは、訳のわからない”センス”に始終しないで、根拠や引用をちゃんと付けられる形が望ましいかと思います。
こっちだって、この”センス”の言わんとするところは分かりますが、それ、世間に出たら通用しない。
付け加えて、日本のアカデミズムって、ちょっとずれている事も念頭に置いておかないと、後で面倒な修正をしなくちゃなんなくなるし、
(修正しないと、その方が幸せ??)
あと、大学の評価なんですけど、
あまり好意的に受け取られない現状を引きずるならば、大学自体の評価が下がりますので、そこの出す小さな評価は意味をなさなくなるでしょう。
そもそも、評価って、
単位が取れて卒業できれば、いいんじゃ…?
博士課程はしていないし、成績証明が必要な就職活動をしていないので分かりません。
最後に
日本の大学って、色々ちゃんと機能していてしっかりしているのだから、もっとよくなるといいですね。
こういう要望書を出すのは大変で、この先も議論が続くでしょうから、むしろこれが制作活動の一部になってると、面白いかも?
妄信的にひたすら人体像を作るよりかは生産的。
〜大学の事を考えたら、色々思い出が蘇ってきました。〜
上に書いた内容は批判的かもしれませんが、どこでもポジティヴ、ネガティヴ両面がありますしね。
あまり接点はなかったとしても、「その一言!いいですね!」を発した方々、特に先生や助手としての役割以上にとても親身にお世話いただいた方々に、今でも本当に感謝しています。
LOVE!
あ、読みました、これ。
これについては、また別の機会に書きたいと思います。
ではでは!
“タマビ彫刻科の学生が要望書提出、元学生は思う。” への2件のフィードバック
多摩美術大学彫刻学科に通っていたものです
要望書を提出した院生の同級生でもあります。
要望書なんて提出して大騒ぎしたんですが、
私はこの頃社会人で仕事をしていて
提出した友人から下書きみたいなものを見せられ相談にのり、
他の在学生にもいろいろ話をきいたところ
教授達の派閥争いに生徒を巻き込むな軍と
某教授の地位を向上させろ軍が
それっぽいこと言ってただけです。
私は在学中はたくさんの教授にいろんなことを教えて頂いて何も不満はありませんでした。
他の在学中の方にも迷惑がかかるので反対をしたところ
音信不通となりました。
理不尽なことなんて学生から社会にでたらもっと数倍になるのに
そんなこともたえられない奴がどう生きていくのか心配になりました。
教授達だって人間なんだし大人なんだから勝手にやってくれっていうのが
その時在学していた過半数の在校生の考えでした。
mmさん、
こんにちは。
そういった事情があるんですね。
貴重なご意見ありがとうございます。
すっかり外部の人間になっている私からすると、学生に動きがあるとポジティブなものも感じますが、
教授の派閥争いが根っこにあると、学生にとってはプラス面が少ないかもしれないですね。
この勢いをバネにして、大学の外で活躍してくれる事を期待します・・!
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