ピアチェンツァの地図を貼り付けてみました。
赤いピンが付いているところが、大聖堂から出るなり目指した教会、Chiesa di Santa Maria in Campagna 聖マリア・イン・カンパーニャ教会です。街中心はもうちょっと右下にあって、駅もこの地図の外の右にあります。
前回の話「 ピアチェンツァ日帰り旅行 -グエルチーノ展」の続きで、午後3時50分ほどに大聖堂を出て、ピアチェンツァ駅4時50分発の電車に乗るまで、1時間ほどの猶予。
土地勘のない街だし、時間も無駄に使えないので片手に携帯でナビをしてもらいながら早歩きを通り越して、必死の競歩。
ナビの言う所要時間よりも早めに、約15分で目的の教会に到着しました、
聖マリア・イン・カンパーニャ教会 Chiesa di S.Maria in Campagna
急いでいたもので、外観を撮るのを忘れましたが、結構さっぱりとしたシンプルな外観。
そ対して内部は一面装飾画で埋め尽くされていました。この差は結構びっくり。
柱という柱、壁という壁、みっちり、ぎっちりと、絵画、絵画、絵画!!!!
ピアチェンツァの教会についての詳しい資料は手元にないので、Wikipediaの情報によると、現在の教会の前身である祈祷所がここあった時代、1095年に開かれたピアチェンツァ公会議で法王ウルバーノ二世が第一回十字軍をエルサレムに向けて送る事をここで決めました。
同年クレルモンで開かれた公会議でそれが公式に宣言されます。
それにちなんで、この教会の前にある広場はPiazza delle Crociate “十字軍広場”と名付けられています。
そして、現在のこの教会は、ピアチェンツァの枢機卿の手により最初の一石が置かれ、1522年に竣工。それからわずか6年間で完成しました。
建築家はAlesso Tramello。
中央集中形式のギリシャ十字の図面、ルネサンス時代に完璧な形と考えられ、それは見た目だけではなく、哲学的にもシンボル的にも完璧とされたものです。
教会の構造体が完成すると同時に、Antonio de’ Sacchis detto il Pordenone 通称で”イル ・ポルデノーネ“と呼ばれるアントーニオ・デ・サッキスに内部の装飾画が依頼されます。
イル・ポルデノーネとその工房による作品がこちら。
競歩してよかった!見れた!と感動の瞬間。
他にも、イル ・ポルデノーネの作品は、教会に入ってすぐ右と左にも。あと、左側翼廊部分にも助祭壇があり、
あっちもこっちも、頭上にも、、絵画。
この空間に行かないとこの経験はできません。
もう少しゆっくりしたかったけれども、電車に乗り遅れたくなかったので教会を後に。4時25分くらいに出ました。
グーグルマップが言うには聖マリア・イン・カンパーニャ教会から駅まで30分。
早歩きなら25分で着けるはず。
しかし、駅に再び早足で向かいながら、フツフツと、今朝パラッツォ・ファルネーゼで係りの人がお話してくれた事が頭の中を巡り出します。「聖シスト教会も綺麗よ。」このセリフが頭の中でエコー状態。しかも、この教会、駅までの道をちょっと変えるだけで行ける距離!よし、行くしかない!
で、行った!
聖シスト教会 Chiesa di S.Sisto
今度はファサードもしっかり撮った!2秒だけ止まって撮った!
内部に入る!
おお、ここここ!
主祭壇に向かって進む!足音をたてず、でも常に早歩き!
これ、分かります!?
主祭壇にあるのは18世紀半ばのコピーですが、ラッファエッロのシスティーナの聖母。
ドレスデンにあるあの有名な作品はこの教会にあったんです。
作品は1754年に売却されています。
1513年から14年にかけて描かれたもので、この時期のラッファエッロにしては珍しくキャンバスを使用しています。
諸説ありますが、これはステンダルドと呼ばれる宗教行事で使う旗として使うためだったとか、ジュリオ2世の霊廟のために使う予定だったなどと考えられています。
この作品自体よりも、下にいる二人の天使の方が現在は有名になっています。かわいらしいですよね。
このラッファエッロも気にはなっていたのですが、実は一番探していたのが、Margherita d’Austria マルゲリータ・ダウストリアのお墓でした。
必死に案内板かなにか目を皿にして探したのですが、内部留まることのできる時間は2分ほど。
どこか結局分からずじまい。
が、勘で撮った写真がそれだったと後で確認できました。
それが、こちら。左翼廊にあります。
この人、フィレンツェ史にちょっとだけ登場します。
マルゲリータは神聖ローマ帝国の皇帝カルロ5世の庶子。
一度フィレンツェ公爵(まだ大公ではありません)アレッサンドロと1536年に結婚しますが、夫婦仲は非常に悪かったようです。
子供もないまま翌年に夫アレッサンドロが殺害され、1538年にピアチェンツァのOttavio Farneseオッターヴィオ・ファルネーゼと再婚。
その後ネーデルランドを治め、イタリアのオルトーナに没し、この教会に埋葬されました。
ファルネーゼ家は教皇パオロ3世を輩出した一家としてよく知られますが、そこまでフィレンツェに直接関わっていないのですね。
この日最初に訪れたパラッツォ・ファルネーゼでその一部に触れられ、好奇心を持ちました。勉強したいと思います。
地方都市の空いている美術館では係りの人が声をかけてくれて、とても親切にいろいろ案内をしてくれる事がよくあります。
今回もとても幸運な事に、ファルネーゼ家の最後の女性エリザベッタ・ファルネーゼの人生をそこに残された絵画作品と共に説明していただけました。
宮廷画家Ilario Spolveriniイラーリオ・スポルヴェリーニによる作品。
中央左の赤いドレスをきた女性がエリザベッタです。当時としては珍しく、5ヶ国語を操る才女であったそうです。
現在パラッツォ・ファルネーゼに展示されている作品のうち、元からここにある作品は正確な数は忘れてしまいましたが、確か10点ほどだそうです。
というのも、彼女が嫁いでいったスペインの王様フィリッポ5世(フェリペ5世)によって、この政治的にも地勢的にもあまり重要でなくなってしまったピアチェンツァから美術品や家具の全てを他の場所に移動させられてしまったからです。
現在展示されているのは、ピアチェンツァから要請されてようやく戻ってきたエリザベッタに関連の深い作品のみです。
他、多くのパラッツォ・ファルネーゼにあった作品は、現在ナポリのカゼルタに行き着いています。
ちなみに、ナポリにはファルネーゼ家の遺産という形で、先述のマルゲリータのコレクションの一部であるフィレンツェのメディチ家の財宝もあります。
マルゲリータがフィレンツェに滞在していた際に集められたものだそうです。
ぐるぐるっと回って、ナポリ、カゼルタ。まだ行った事がないので、こんな事を教えていただいた後はますます行きたくなりました。広大な庭を持つカゼルタ宮殿として知られています。夏休みの旅行にい良さそう。
・追記・そして、カゼルタ宮殿に行きました。↓
オフィシャルページ→ パラッツォ・ファルネーゼ
あまり観光客が押し寄せる場所ではありませんが、馬車コレクションが意外にもすごかったり、”エトルリアのレバー”と呼ばれる貴重な収蔵品があります。
小都市ながら、意外と見所は他にもいろいろありまして、、
こちらのサイトにいろいろ情報が乗っています。→Piacenza Musei リンク先がなくなってしまいました…
アントネッロ・ダ・メッシーナのEcce Homoがぜひ見たいです。
・後日Ecce Homoを見に行きました・