国立バルジェッロ美術館
-なりたち
バルジェッロ美術館の、この堅牢な中世の面影を残す姿は1200年代の半ばにフィレンツェ共和国のカピターノ・デル・ポーポロ(今で言う行政に近い)とポデスタ(司法と刑法)の住居として建てられたものです。
カピターノ・デル・ポーポロは1年後には居を移したので、残ったポデスタの名をとりパラッツォ・デル・ポデスタと呼ばれました。
その後、フィレンツェ共和国の斜陽と共に1502年ポデスタは廃止になり、1574年大公コジモ一世の時代に牢屋として”バルジェッロ”(警察長官)と呼ばれるようなりました。内部にある礼拝堂は死刑執行の前夜に囚人が入れられたところです。
18世紀に入り、ロレーヌのピエトロ・レオポルト大公のもとではヨーロッパでもいち早く1782年に死刑制度が廃止され、この中庭で死刑の為の道具が燃やされました。
イタリア王国統一の1865年より、現在はバルジェッロ国立美術館として主に彫刻作品の有名な場所になっています。
バルジェッロ美術館 内部
ミケランジェロ、ドナテッロ、デジデーリオ・ダ・セッティニャーノ、ジャンボローニャ、などの代表作品があります。
ミケランジェロ(att.)の磔刑像があるのはマグダラのマリア礼拝堂で、その壁からはジョットとその工房によるフレスコ画が1800年代に再発見され、ジョットと同時代人であったダンテ・アリギエーリの姿も認められます。
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ自らの為に製作した彼の愛人の胸像は、近年常設展示になり地上階ミケランジェロの間で鑑賞できます。
地上階
- 中庭
- ミケランジェロと1500年代の彫刻の間
- 特別展用展示室
ブルータス -ミケランジェロ・ブオナッローティ
日本の美術室で石膏像としてよく見る親しみのある作品のオリジナルです。もともと反メディチ家の隠喩として、”暗殺されたアレッサンドロ・デ・メディチをカエサルと見立て、彼に反旗をひるがえす英雄ブルータス” という意味があったはずが、フランチェスコ・デ・メディチが買い取ります。その時に未完のままだったのこの作品に、”ミケランジェロは良心からこの作品を未完のまま放置した” という解釈を加えられました。
写真が石膏デッサンでよくある構図だな、と気づかれた方はこちらの記事もどうぞ→ウフィツィ美術館であの石膏像パジャント?
バッカス -ミケランジェロ・ブオナッローティ
ミケランジェロがリアーリオ枢機卿に依頼され制作した初期の作品です。古代彫刻に倣っているものの、ルネサンスらしさは鑑賞する視点が一方だけにあるのではなく、色々な角度から見れるという事。
ペルセウスの台座 -ベンヴェヌート・チェッリーニ
ヴェッキオ宮殿前のランツィのロッジャにあるその台座のオリジナル。本来この台座の上に乗っていたペルセウス像(チェッリーニ作)はランツィのロッジャで模刻の台座の上です。台座自体とても凝ったデザインで、4体の小さなブロンズ像もチェッリーニの作品。この写真はその一部。
メリクリウス -ジャンボローニャ(ジャン・ド・ブローニュ)
ブロンズという素材の特製を生かした宙に浮くような躍動感のある作品。もともとはローマのヴィッラ ・メディチに飾れていた作品です。ブログ記事→ ローマのヴィッラ ・メディチとフィレンツェの繋がり
アダムとイブ(部分) -バッチョ・バンディネッリ
足、冷静に観るとすごい形。バッチョ・バンディネッリの作品の部分。この作品はフィレンツェ大聖堂の主祭壇に飾られていたものの一部。作品の他の部分はサンタクローチェ教会やヴィッラ・デミドフへ行っています。Brog→フィレンツェ大聖堂 バンディネッリ作品の行方
コスタンツァ・ボナレッリの肖像 -ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ
ベルニーニの愛人だった女性の胸像。自分の手元に置く為に制作したプライベートな作品です。以前は滅多に開かない部屋の奥にありましたが、現在は地上階のミケランジェロと1500年代の彫刻の間にあります。(この作品は1637年頃の作品。)
磔刑像 -ミケランジェロ・ブオナッローティ
ミケランジェロの若い時代にサント・スピリト教会にある磔刑像と同じ時期に制作した作品と考えられ、類似点が見られます。小さな木彫作品です。(写真は以前の展示場所)
大広間の噴水 -バルトロメーオ・アンマンナーティ
この屋内用としては大掛かりな噴水は、ヴェッキオ宮殿の五百人広間を飾る予定でしたが、結局未完に終わりました。その後プラトリーノのヴィッラ ・メディチやピッティ宮殿の中庭などに飾られて、最終的にこちらのバルジェッロ美術館へ。
1階(日本式2階)
- ヴェローネ(テラス)
- ドナテッロの間
- イスラムの間
- カランの間
- マグダラのマリア礼拝堂と聖具室
- 象牙の間
- 1300年代の部屋
- マイヨールの間
イサクの犠牲 -ロレンツォ・ギベルティ
フィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂の東側の扉の製作者を決めるコンクール提出作品。このロレンツォ・ギベルティの作品の隣には、ライバルのフィリッポ・ブルネッレスキの作品が並んでいます。ギベルティが鋳造のテクニックも優秀であるとされ選ばれますが、ブルネッレスキはその後に大聖堂のクーポラ設計という大仕事を成し遂げる事になります。
ダヴィデ -ドナテッロ
ダヴィデの足元には打ち取ったばかりのゴリアテの頭部。作品を至近距離でよく観察すると、金箔が施されていたり、マットなつや消しの表面に仕上げる為の細かな傷まで見えてきます。同じ部屋(ドナテッロの間)にはこれよりも前に製作した同じくドナテッロの大理石製ダヴィデ像があります。比べてみるといいかもしれません。
マルゾッコ -ドナテッロ(ドナート・ディ・ニッコロ・ディ・ベット・バルディ)
ヴェッキオ宮殿の正面を飾るフィレンツェ共和国のシンボルの一つ、ライオンです。こちらがオリジナルです。”マルゾッコ“という名前は、軍神マルスに由来すると考えられます。ライオンが前足をかけている盾に、現在でもフィレンツェ市のマークとして使われている”Giglio Fiorentino フィレンツェの百合”。ですが実のところは百合ではなくアヤメです。
ディッティコ(ディプティック) 西ローマ帝国終焉前の作品
平らな表側にロウを引いてから文字を書くための文房具です。大きさは手帳サイズの象牙製。裏面にアダムと天国の様子がとても細かく表現されています。ロマネスクやゴシック時代よりも前で、自然な描写がまだ見られます。
聖ジョルジョ -ドナテッロ
この作品も日本で石膏像としてよく親しまれています。(美術系以外の方は馴染みがないかもしれません)もともとオルサンミケーレ教会の北側の外壁、一番右の壁龕を飾っていました。下のレリーフもドナテッロによるもので、”スティアッチャート”(スキアッチャータはフィレンツェのパンの種類です)と呼ばれる厚さがわずか数ミリで彫刻にもかかわらず絵画のような効果を生み出しています。
2階(日本式3階)
- 武器展示室
- ジョヴァンニ・デッラ・ロッビアの間
- アンドレア・デッラ・ロッビアの間
- ブロンズ小作品の間
- ヴェッロッキオと1400年代後半の間
- メダルコレクションとバロック彫刻の間
若い女性の肖像 -アンドレア・デッラ・ロッビア
美しい首像、アンドレア・デッラ・ロッビアの作品。ルーカ・デッラ・ロッビアなどロッビア一族が復活させた古代の技術、釉薬を使ったテラコッタです。制作された当時の鮮やかな色を現在でも見る事ができます。
オイルランプ -アンドレア・リッチョ派
ブロンズ小作品の間の片隅に、こんな面白いポーズのオイルランプ。同じ部屋には、ジャンボローニャとその工房の作品も多く展示されています。
デッラ・ロッビア、ブンニョーニらによる多彩陶器の技術を使った作品コレクション、象牙細工や宝飾品などのカランコレクション、現存数の少ないメディチの陶器のある間、世界通貨であったフィオリーノ金貨などのコインコレクション、イスラムコレクション、等、有名作品だけにとどまらない奥の深い美術館です。
美術館職員の数が足りない場合などは、いくつかのマイナーな展示室が閉まっている事もあります。
バルジェッロ美術館 インフォメーション
-所在地
Via del Proconsolo 4, Firenze
-開館時間
月,土 8:15-18:50
木〜金 8:15-13:50
火曜日 休み
-入館料
大人: 10ユーロ
17歳以下: 無料
-所要時間
30分〜2時間
-バルジェッロ美術館オフィシャルページ
–Museo Nazionale del Bargello–
(メディチ家礼拝堂、オルサンミケーレ美術館、マルテッリ邸、ダヴァンツァーティ邸、と一緒のページです。)