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ハロウィンとヴェネツィアと死者の日

ヴェネツィア サン・ミケーレ島

イタリアではハロウィンは最近になって子供達を中心に浸透してきています。

もともと伝統的なお祭りではないので、ちょっと前までは99セントショップにかぼちゃグッズが売ってるねー、ぐらいにしか思ってなかったけれども、小学校の放課後にパーティーなんか開いちゃったりして、カーニヴァルが一年に二回ある!くらいな感じでしょうか?なんだか楽しんでしまっている感じです。

その反面、「そんなのアメリカのお祭りだから関係ない、まったく迷惑な話だ。」なんて言う大人たち。でもその大人たちが衣装をせっせと用意していたりします。

そういう私も結局衣装を用意するハメになっています、ちょっと面倒。。ハロウィインは悪魔崇拝なんて事はそっちのけ。

 

さてさて、ここからは伝統のお話になります。

(悪魔崇拝も伝統と言えば伝統?)

この夏にヴェネツィアに旅行にいった時、墓地好きの私としては外せないとってもヴェネツィアらしい墓場島、サン・ミケーレ島に行ってきました。

前回のヴェネツィア記事、スリの話しか書いてませんでした・・・。

ヴェネツィアでスリに遭遇、そんな時の対処法(!?)

 

ヴェネツィア サン・ミケーレ島

 

ヴェネツィア本島からムラーノ島方面に行く途中にあります。

島が墓場。さすが、ヴェネツィア。

 

この島の事を墓地を愛するフィレンツェガイドが何を言いたいのかと、、たまたまこの島について書かれているページを発見して、それがハロウィンに近い伝統の祝日11月1日のオンニッサンティ、全ての聖人の日と死者の祭日に関連してなので、面白いね、と思ったのでご紹介です。

 

まずは、島の内部の写真など、どうぞ。

 

 

 

ヴェネツィア サン・ミケーレ島

 

 

 

ヴェネツィア サン・ミケーレ島

 

 

 

ヴェネツィア サン・ミケーレ島

 

 

 

 

ヴェネツィア サン・ミケーレ島

 

 

島の中は、かなり大きな墓地になっていて、フィレンツェのCimitero degli Inglesi イギリス人の墓地(名称はイギリス人ですが、カトリック以外の人の墓地です。その話はまた今度機会があれば。)の島っぽさにくらべて、中にいる時はそこが普通の陸地であるように感じます。

でも、上の写真のように、端っこに到達するとそこは海!なんだか不思議な感覚。

教会もあるのですが、到着した時はミサの最中、そしてそれに続いて丁度お葬式があったので、入りませんでした。

霊柩車ではなく、霊柩船がお棺専用のリフト付きで存在するんでね、初めて見ました。

 

 

 

で、このサン・ミケーレ島についてです。・・ここからざっと訳・・・

この島の初期の記録はカマルドリの修道士たちがそこにいたというものです。

1212年にインノチェンツォ3世によりトルチェッロとサン・ピエトロ・ディ・カステッロの司教たちに修道院の区画を広げるために譲渡されることが認められます。

15世紀の後半に修道院は徐々に文化的重要度が高まり、研究者や芸術家を引き寄せます。

その中に修道士(フラ)マウロがおり、現在マルチャーナ図書館に保存されている世界地図を作成します。

今日見られる教会のファサードはマウロ・コドゥッシの設計で1400年代に造られました。教会内部には二つキオストロ(中庭)があり、大きい方はジョヴァンニ・ブオーラにより15世紀に、中に井戸のある小さい方はニッコロ・フィオレンティーニにより1709年に建てられました。

墓地としての変換点は1804年のナポレオンが発したサン・クルーの勅令です。衛生上の問題により人が住む中心地に死者を弔うことが禁止されます。(訳者注/イタリアの多くのモニュメンタル墓地がこの時期のものなのは、この勅令によります。)

最初はフォンダメンタ・ヌオーヴェの正面に位置するサン・クリストーロフォ・デッラ・パーチェ島が墓地として利用されますが、スペースが足りなくなり、ヴェネツィア市が1839年に購入したのが、このサンミケーレ島。

墓地のプロジェクトはアンニーバレ・フォルチェッリーニに任され、1876年に終了。島の周りを赤煉瓦で囲み、ギリシャ十字の形をとります。

内部の墓標はネオクラシックからネオルネサンス様式、リバティースタイルまで。

ここに弔われた有名人は、歴史家のGiulio Lorenzetti e Pompeo Molmenti、書作家Carlo と Gasparo Gozzi、俳優Cesco Baseggio、喜劇作家、Riccardo Selvatico 、 Giacinto Gallina、画家Virgilio Guidi, Emilio Vedova, Mario De Luigi、作曲家Ermanno Wolf Ferrari e Igor Stravinskij, Luigi Nono、詩人Josif A. Brodskij e Ezra L. Pound、精神科医Franco Basaglia、科学者Christian Doppler、振付師Sergej Diaghilew、など。中庭には建築家のGiuseppe Jappelli、パルチザン詩人Alessandro Poerio。

1950年までは11月1日、死者の記念日には、ヴェネツィア本島とこのサン・ミケーレ島の間に船の橋を渡していました。

 

 

船で作った橋、なんだかいいですねー。

 

で、1950年までだったら写真が見つからないかと探してみたらありました。

http://www.veneziaweb.net より。

勝手に写真を使ってはいけないと思うので、リンク先をご覧ください。スクロールしていくと、「I ponti su barche」という項があって、そこに本島とサン・ミケーレ島を繋ぐ船の橋白黒写真があります。

ただ、ん?と思っていた11月1日という日付、こっちのリンク先には11月2日とありますので、そちらの方が正しいかも。1日はオンニッサンティの日、2日が死者の日です。

あと、こちらの説明で、現在は船の橋をかけない理由はコストが高くなってしまった事と、ヴァポレットによる交通量の増加であるとのことです、。それはそうですよね、船の橋の上を歩いていたら、大揺れですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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