ヴェネツィアの墓地 サン・ミケーレ島
この夏にヴェネツィアに訪れた時、墓地好きとしては外せないとってもヴェネツィアらしい墓場、サン・ミケーレ島に行ってきました。
サン・ミケーレ島はヴェネツィア本島からムラーノ島方面に行く途中にあります。
島が墓場とは、さすがヴェネツィア。
サン・ミケーレ島の歴史/死者の日と諸聖人の日
そして最近になって、たまたまこの島について書かれているページを発見しました。
11月1日の諸聖人の日と11月2日の死者の日にも関連していまして、面白いと思ったのでご紹介します。
以下ざっくりとした訳です。
この島の初期の記録は”カマルドリの修道士たちがそこにいた”というものです。
1212年にインノチェンツォ3世によりトルチェッロとサン・ピエトロ・ディ・カステッロの司教たちに修道院の区画を広げるために譲渡されることが認められます。
15世紀の後半に修道院は徐々に文化的重要度が高まり、研究者や芸術家を引き寄せます。
その中に修道士(フラ)マウロがおり、現在マルチャーナ図書館に保存されている世界地図を作成しました。
今日見られる教会のファサードはマウロ・コドゥッシの設計で1400年代のもの。
教会内部には二つキオストロ(中庭)があり、大きい方はジョヴァンニ・ブオーラにより15世紀に、中に井戸のある小さい方はニッコロ・フィオレンティーニにより1709年に建てられました。
墓地としての変換点は1804年のナポレオンが発したサン・クルーの勅令です。
衛生上の問題により人が住む中心地に死者を弔うことが禁止されます。
(訳者注/イタリアの多くのモニュメンタル墓地がこの時期のものなのは、この勅令によります。)
最初はフォンダメンテ・ヌオーヴェの正面に位置するサン・クリストーロフォ・デッラ・パーチェ島が墓地として利用されますが、スペースが足りなくなり、新たにヴェネツィア市が1839年に購入したのが、このサンミケーレ島。
墓地のプロジェクトはアンニーバレ・フォルチェッリーニに任され、1876年に終了。
島の周りを赤煉瓦で囲み、ギリシャ十字の形をとります。
内部の墓標はネオクラシックからネオルネサンス様式、リバティースタイルまで。
ここに弔われた有名人は、歴史家のGiulio Lorenzetti e Pompeo Molmenti、書作家Carlo と Gasparo Gozzi、俳優Cesco Baseggio、喜劇作家、Riccardo Selvatico 、 Giacinto Gallina、画家Virgilio Guidi, Emilio Vedova, Mario De Luigi、作曲家Ermanno Wolf Ferrari e Igor Stravinskij, Luigi Nono、詩人Josif A. Brodskij e Ezra L. Pound、精神科医Franco Basaglia、科学者Christian Doppler、振付師Sergej Diaghilew、など。中庭には建築家のGiuseppe Jappelli、パルチザン詩人Alessandro Poerio。
1950年までは11月1日、死者の記念日には、ヴェネツィア本島とこのサン・ミケーレ島の間に船の橋を渡していました。
島と言ってもかなり大きな墓地で、フィレンツェのCimitero degli Inglesi イギリス人の墓地
(名称はイギリス人ですが、カトリック以外の人の墓地です。その話はまた今度機会があれば)
、の島っぽさに比べると、中にいる時は普通の陸地であるように、島だということを忘れてしまうような場所です。
教会もあるのですが、到着した時はミサの最中、そしてそれに続いて丁度お葬式があったので、入りませんでした。
霊柩車ではなく、霊柩船がお棺専用のリフト付きで存在するんでね、初めて見ました。
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